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2006年7月31日 (月)

俺は恐怖で狂いそうだ。

このブログを見ている皆さんにまた信じられない話をしなくてはならなくなった。今回も真面目な話だから嘘だとに思わないでくれ。先週の23日のGIGの公式練習でヒートアップし過ぎて練習後、激しい鬱状態になった事はブログに書いたからご存知だと思う。今思えばその時すでに異変は始まっていたはずだ。昨日、6日ぶりに練習して俺は絶句してしまった。今までに体得したトリック全てが出来なくなっていたからだ。多分、鬱状態の時に俺の意思とは別に脳がエキストリーム・バイクのテクニックを危険と判断したのか?トリックする為に完成した運動神経ユニットを勝手に削除してしまった。現在の俺は何一つ出来ない只の人だ。前にも似たような事はあったがこれ程酷いのは初めてだ。GIG本番当日まで2ヶ月を切っている。俺の全身は元に戻れるか不安と未知の恐ろしさで満ちている。今までの努力は何の為なのか自分が情けない。バイクに夢中で生きてきた俺に対する仕打ちか。冗談なら止めてくれ!

このブログを楽しみにしている皆さんには申し訳ないがエキストリーム・バイクに集中したいのでしばらくこのブログを書くのを中止します。俺がブログで書いてはいけない事を書いている報いなのか?どうでもいいから俺からこれ以上何かを奪わないでくれお願いだ。

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2006年7月28日 (金)

サムライダーズ

Imgexcessive_0034 Imgexcessive_0035 俺は剣豪の物語をよく読む。読むといってもほとんどがコミックだ。原作者の思想に漫画家の解釈が加わり、刀を使って効率良く敵を倒す為にはどんな努力をし、どんな方法を編み出し、その結果どうなったかを絵にして読者に伝える。親父の俺には人生の教本です。侍と言えば俺が高校生の頃、片山敬済氏 (ロードレース元世界チャンピオン)が「俺だけの2輪テクニック」という本を書いた。その本の始めに自分はこんなテクニック本は出したくないが沢山のライダーの命を救う為に出した。いずれバイク版、「五輪書 」(ゴリンノショ・剣豪宮本武蔵の書いた剣術と兵法の教本)様な本を出したい。と書かれていた。それから10年、「片山葉隠 臆病者に与える書」を出版する。葉隠とは「武士道とは死ぬ事と見つけたり」で有名な武士の心構えを説いた書だ。この本には技術的な事は何一つ書いてない。ただひたすらに自分の体験で得たライダーとして必要な心構えを書いてある。俺はバイクが恐ろしくて恐ろしくて堪らない時期にこの本に出会い本当に救われた。この有言実行の元世界チャンピオンには今も感謝している。本当にありがとうございました。

俺は今、片山敬済氏の言葉を使ってライダーの心構えがどうとか何て言うつもりは更々ない。俺は心も身体も技も未熟者の代表だからとても恐れ多くてそんな事出来る訳がない。俺が言える事はどの世界でも身を粉にする様に努力をしないと何も生まれないし何も得る事は無い。また同じ量努力しても志があるとないとでは結果が全く違う。俺は今まで生きてきてやっとこの事だけは理解した。昔の剣豪はとにかく修行したそうだ。俺の周りにも、とにかく修行 (練習)に励む男達がいる。一番身近では俺の所属しているエキストリーム・バイクチームのリーダー、34 (サーティフォー)がそうだ。彼は約半年間、雪の為に練習出来ない状況で国内トップクラスのライダーに追い着こうと必死に頑張っている。彼の日々の努力を俺は尊敬している。彼は俺より年下だが実力重視の世界で生きる俺には関係ない。自分に何が足りないか、日夜彼から学ぶのみだ。

俺も34も今年になってウィリーサークルが出来る様になった。初めに彼が出来る様になったのだが、彼はGSX750Rで1周回る為に半年以上掛かった。俺は彼の回るのを見てオフ車の軽さも手伝ってすぐに出来た。しかし、同じウィリーサークルでも完成度がまるで違う。34はサークルを簡単そうにこなしている。上手な人と下手な人の技を比較すると上手い人程簡単そうにやってしまう。なぜ上手い人が簡単そうにやって見えるか考えた事はあるかい?それは全ての身体の動きが同時進行に動いていて、1拍子で行われているからそう見える。この1拍子がそう見える理由をライダーの皆に分かり易く例えるならば、コーナーリングする時に普通のライダーはブレーキング、コーナーリング、立ち上がり加速と3拍子で曲がる。そしてベテランになるとブレーキングとコーナーリング、もしくはコーナーリングと立ち上がり加速が一つになって2拍子で曲がる。そして達人になると全てを同時進行に行い、ムラなく繋げているので1拍子になる。大した動きを見せずに行われた事はいかにも簡単で自分にも出来そうな気にさせてしまうモノだ。これと同じ様に34のサークルは1拍子で回っているのだ。俺のウィリーサークルはまだまだ1拍子にはなっていないので彼に比べると旋回の直径も動きの美しさや安定度どれをとっても比較にならない。俺も彼に追い着ける様に努力はしているが、本気で差を埋めるには冬季に雪のない地区で練習に励むしかないと思っている。今度の冬は何処に行こうかな?皆さんの街で俺を見ても石は投げないでね。

俺は年下の34に学び、34も彼よりも若いトップエキストリーマー達に学んで己の技を磨いている。実力が全ての厳しい世界だから皆真剣になれる。侍にならなきゃこんな危ない事やれません。俺達はサムライダーズ!

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バイクは乗っても乗られるな。

060726_23500001 やっと通常の精神状態になってきたのでバイクの話を書くつもり。ライディング・ハイって知ってるか?バイクに乗ってて気分が高揚して気持ち良くなる状態。映画アラビアのロレンスで世界に知られる様になったT.E.ロレンスは「精神はスピードの中で肉体を超越する。」と語った。つまりロレンスはライディング・ハイの事をこう表現したのだ。俺も20年以上バイクに乗ってこのライディング・ハイを何度も経験している。 (最近では乗る度)別にトリップするために馬鹿みたいにスピードを出す必要はない。ライダーが受ける強烈な刺激はスピードだけとは限らないからで、もちろんスピードの人もいるがトリップとしては質が悪く遊園地のジェット・コースターと同質の単なるハイスピードからくる立ち眩みや眩暈レベルの話だ。初心者の頃はこの程度でもいいが、人間は環境に順応する能力があるので最後には何でもなくなる。俺の経験ではそうなると人はもっと速くパワーのあるマシンを求めてしまう。どんどんエスカレートするとスピードからくる恐怖と気持ち良さがごちゃ混ぜになって非常に精神にも身体にも悪い状態になり、仕舞いにはバイクが嫌になる。これではシンナー吸って気持ち良いー!って叫んでる奴と大差がない。

本当の良質のライディング・ハイとは自分のライディング能力と密接に関係があってバイクのポテンシャル云々だけでは決まらない。簡単に説明すると普段ビックバイクに乗っている人が小排気量のバイクを楽しそうに乗る現象だ。元々、楽しむ目的でビックバイクに乗っているのに小排気量だともっと楽しめてしまう。何か可笑しいでしょ?ライダーが楽しいと感じる速度は個人差があるがどんな達人でも実はそれほど高くはない。あのキング・ケニーと言われたケニー・ロバーツ (ロードレース元世界チャンピオン)でも100ccクラスのマシンを一番楽しそうに乗っているのだから間違いない。 (ただし、ドリフトして真横に走ってるが)自分が確実にコントロール出来るし、してると思わせるマシンが純粋に気持ち良く楽しめ、命をちじめる様な事も少ない。 (全く無い訳ではない。)この程度で十分に良質のライディング・ハイが楽しめてしまう。もちろん自分が走りたいステージによっても楽しめる排気量が変わってくる。高速道路はそこそこデカイバイクでないとつまらないからな。一般道でならある程度スピードが出て、自分がコントロール出来る範囲を超えずに何処でも走れる、そう考えた時250ccクラスが俺はベストじゃないかと思う。俺の周りの凄腕ライダー達もレースや競技以外の時は250ccで走る人が増えている。スピードと楽しさの妥協点的クラスなのだろう。ビックバイクでもライディング・ハイにならない訳ではないが確実に回数は激減する。ライディング・ハイを強く感じる為にはコツがあって、それはちゃんと考えて走る事。つまり一瞬先の走行プランを立てて走ると思った通りに走れた時に快感が大きく、感性が研ぎ澄まされてゆく。いわゆる波に乗れてる状態を作るのだ。

俺が思うにはビックバイクでとにかくハイスピードを求める人はそれなしでは生きられないと思い込んでるジャンキー状態であって誰もが一度は通る道。でもそれを過ぎると安息の速度域で常に冷静で自らのライディングを確認しながらスピードに酔う、これがライディング・ハイの正しい姿だといずれ気が付く。もちろん人により好みもあるので異論もあるだろう、個人的に麻薬の様な強烈な刺激を求めるのも自由だ。しかし何とか無事に年を重ねる事が出来た者は円熟した技術と反比例するが如く、自分の愛車に求めるスピードを下げる。これは決して老いからくる行動ではないと俺は断言する。心にも身体にも良いライディング・ハイとは何か知っている達人だから出来る行為だとね。おまけにそんな達人は本気で走ると凄く上手いし油断できない実力も待ってる。若者には信じられないかもしれないがこれ本当の事だ。俺は過去にそんな人達を何人も知っている。

俺は口では年だとか言って、いざって時にガツン!とやる嫌な爺になりたいなぁ。古めのバイクを見た目で解らない様にフルチューンしてな。多分、毎日乗る度にトリップしてたら年も取る事忘れるぜ。

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2006年7月27日 (木)

豚男は最高の走り屋

060726_23500001 今週はバイクの話を全然書いてない。たまにはバイクの話は無しで俺の趣味的な事に暴走してみたい。俺は映画を見るのが好きでアニメもよく見る。宮崎アニメは子供の頃からファンで俺が最初に見たのはテレビの侍ジャイアンツだ。高校生になり月刊アニメージュで連載してた風の谷のナウシカで宮崎駿の名を知った。もののけ姫を映画館に見に行った時はストーリーがナウシカの焼き回しに思えて怒ってすぐに出てきた。後でよく考えてみるとよっぽど同じ事を訴えたかったのか?と思う様になった。人間は好き放題してると地球にとって単なる癌細胞になるぞ!地球が死ねば自分達も死ぬんだぞ。そう言ってる気がしてならない。 (深読みし過ぎ?)俺が宮崎アニメで最高に気に入ってる作品が紅の豚だ。走り屋の俺から言わせてもらえば世界中のバイク&カーアクションの映画も子供騙しに見えてくる。なぜそう思うかこれから俺の独創的解説を聞いてくれ。

まず飛行気乗りで賞金稼ぎの豚になる呪いの掛かった男 (俺がこんな姿になったら暴れて怪奇映画になるはず)がアメリカから名を売りに来た腕利きの男と本人が望まぬ形とはいえ勝負をした。豚男のマシンは絶不調。勝利はアメリカ野郎のモノになる。ここからが凄い。豚男は言い訳を一言も洩らさない。これは相当な精神力が必要でストレスもかなり掛かる。よくF1レースとかでリタイヤした選手がリタイヤした理由や原因を喋るだろ。あれは喋らないと自分の存在価値だけじゃなく、これからのレースのモチベーションまで無くしてしまう危険を避ける為だ。この先のモチベーションを維持するために絶対必要な事であってこれをしなければドライバー自体やってられない位落ち込んでしまう。F1ではないが、これをやらないせいで自殺した競技者もいる。自分は今の状況において常にベストな仕事をしている。そう思わないと次の日からの活動に支障が出てくるはずだ。なのに豚男は何も言わず全財産を使って愛機を修理する。恐ろしい程の忍耐、そしてダンディズム。 (その分、リターン・マッチでの勝利は格別だろうが・・・)しかもこの修理にもドラマがある。操縦者に恵まれない為に素晴らしいポテンシャルを持ちながら陽の目を見ないエンジンがあって、そのエンジンを自分の機体に載せ替えする。 (現代の考え方では良いエンジンなら扱い易いはずだがレベルが高すぎるエンジンと考えれば納得できる。)このエンジンに合わせて機体もモディファイされ稀に見る傑作に仕上がり、メカニックもこの機体に特別な感情を持つほどに。 (チューンナップ好きならここの所も堪らない。)そして今度のアメリカ野郎との再戦では金と女が絡み世間からも注目の的で勝てば全てを手に入れ、負ければ全てを失う。このシュチュエーションがどんなに凄くて素晴らしいか男ならすぐ判るはず。 (ここまで徹底した設定は普通の男ならプレッシャーで潰れると俺は思う。)

映画のクライマックス。アメリカ野郎は空中バトルでの豚男の実力が自分より一枚上なのを判りつつ、納得できずに勝負は地上の殴り合いとなる。 (ここら辺も実に人間的でいいね。最近はあまり見る事ない男の世界だ。)豚男はアメリカ野郎に空で汚名を晴らし、陸の腕っぷし真っ向勝負でも勝つ。映画では第三者の目で見るから冷静に鑑賞できるが豚男本人の立場なら、もういつ死んでも良い状態で最高に至福の時に違いない。だか喜びをすぐには顔には出さない豚男。お前、カッコ良過ぎだぜ。誰かこの映画のストーリーそのままパクッて実写で走り屋映画作らんかな。二輪・四輪どっちでもいいから。黒澤明監督の七人の侍をそのまま真似て荒野の七人作ったんだから売れてしまえば許されるかもな。

俺の知り合いでせっかくのバイクを磨いてばっかりで全然乗らない奴がいる。飛ばない豚が只の豚ならこいつは何になるのか?俺はバイクが錆びるより腕が錆びる事の方が怖いと思うのだが、人の価値観に文句を言えるだけ俺は立派じゃない。まあ、俺はサビフェチ (錆びた鋼鉄がとてもセクシーに思える)だからバイクの錆びは気にならん。乗ってなんぼのバイク乗りに徹するよ。GO!GO!マッド・ライダー

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2006年7月25日 (火)

嗚呼、憧れの改造人間。

やばいなテンション上がらない。こういう時はまたとんでもない事書くんだよなぁ。今日は悪性オタクが喜びそうな話を書こう。 (実践オタクの俺)俺は改造人間に憧れる。なんで憧れるか。それは他人から認められた人物だからだ。現代で他人に認められる事は容易ではない。例えば俺が悪の秘密結社を結成し天才的頭脳のマッド・サイエンティストの協力で世界征服の為に人間を改造して最強の戦士を造り出すとする。この改造人間にするとしたらどんな人物を選ぶか?俺ならこんな人物を選ぶ。1、有名人ではない者。 (こんな人物がいなくなったりしたら騒ぎになる。)2、その戦士に必要な素質のある者。 (才能なき者はやるだけ無駄。)3、自分に厳しく、向上心のある者。 (ハングリーでないと洗脳しずらい。)どうだい、改造人間になれる人物とは現実社会でも期待できそうだろ。そして実は現実に存在してるんだ。俺が見つけた実在する改造人間達を教えよう。

まず一人目、アーノルド・シュワルッズネッガー。この人を俺が初めて知ったのは1980年のギネス・ブックで最も筋肉の発達した男として紹介されていた。移民の彼はボディビルで築き上げた身体でパトロンを探し、自分の身体に投資してもらい世界最高の筋肉を手に入れた。そして世界に知られる男となった。 (数年前にした心臓手術はボディビル時代に服用したステロイドによる狭心症と噂された。)二人目はベン・ジョンソン。オリンピックで100メートル走の世界記録を塗り替えた人間ドラッグ・マシン。ニトロガスの変わりにステロイドを注入し自分の命を削ってまで記録を求めた男。 (どうもステロイドを服用すると自分が本当に無敵に思えるらしい。ある意味羨ましい状態だ。)全身の筋肉がブロンズ像の様に硬く角張る。俺はテレビで彼を見た時、素直に美しいと思った。三人目はマイケル・ジャクソン。20年以上前、スズキのスクーター、ラブのテレビCMで初めてお茶の間に登場した時は鼻しかイジってなくて、メチャクチャ素敵な黒人だった。ナイキのディスコ・シューズがピカピカ光ってダンスも抜群。CMに使われた歌も大ヒットだったし、俺はこの世にこんなカッコイイ人間がいていいのかと嫉妬した。 (今ではイジり過ぎて、出来の悪い族車の様だ。ファンには悪いけど)四人目は北野武。そう、ビート・たけしだ。映画「血と骨」で超乱暴な人物を演じる為にゴツイ肉体が必要で、筋トレだけでは年齢的にも無理と判断したスタッフ達から筋肉量を急激に増やす薬剤を投与され撮影に臨んだ。役者馬鹿の鑑。後、大勢の歌手が覚せい剤注射して作った曲は胸を打つ様な良い曲が多い。大ヒットした映画でも監督が覚せい剤で得た感性で作られた場合がある。 (あえて誰の何という映画とは言わないが・・・。)

名の知れた人物ではこれ位。無名を含めるとまだまだいるが公表すると後が怖いのでこれ以上は止める。人間が後少しで手が届きそうで届かないモノを手に入れる時は手段を選ぶ余裕はないみたいだ。自分の身体に悪影響があるのを知ってか、知らずかやっちゃった人達。元々才能に恵まれた人は更なる成功のために何でもやる覚悟があるんだろう。俺みたいな根性なしには絶対無理だし、才能ない奴は何をしようがたかが知れてる。凄い奴がもっと凄くなる為に自らを傷つけ改造する。カッコイイぜ!!!昔スーパーマン見て興奮した俺には堪らないロマンを感じる。冷静に考えれば恐るべき世界だがそれがまた良い。今日も馬鹿な事書いちまったが許してくれ。

俺に言わせれば、「能ある鷹は薬打つ。」羨ましい人達よ、頑張れ!俺は地道にジェベルを改造し、身体を鍛え、心はそこそこ磨きます。

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マルホランド・ランな人生

昨日、GIGの公式練習でヒートアップし過ぎたせいか、今日は祭りの次の日みたいに気分がダウン気味。はっきり言えば鬱状態。これから書く記事は暗い話になると思う。今日もまともな話はしないから覚悟してくれ。俺は自分の事が好きだ。しかし、ナルシストや自惚れで言っている訳じゃない。現在の俺は不器用でドジな男が少しずつ成長してやっと子供の頃に夢みた将来の自分の姿になった。けっしてカッコイイ人物像を思い描いたのではなく。普通の人生からちょっと外れた所で生きる男。これが俺が夢に描いた理想像だ。俺はアウトローになりたかった。アウトローといってもワイルドな感じじゃなく、自分の中の世界 (自分の価値観に基づいたアンダーグランド的な人生)で一喜一憂する他人から見たら只の器の小さい男。人生勝ち組の者から見たら最低の人間だ。俺はこんな最低男を夢見た。

中学生の頃、テレビでマルホランド・ラン (原題キング・オブ・マウンテン)ってタイトルの洋画を見た。俳優デニス・ホッパー演じる伝説の走り屋親父、カルが地元の峠で、自分より速くなりつつある会社 (カー・ショップ)の同僚の若者に焦りまくるストーリー。  (注・俺も年くってきたから、ついこの親父側の目線で物語を見てしまう。本当は会社の同僚の若者が主人公。)始めは余裕で若造と馬鹿にしてた主人公の若者が急速に速くなったのを気に入らなくて会社で喧嘩したり、この若者の友人と峠でバトルして死なせたりとよっぽどの走り好きじゃないと一切受け付けない凄く了見の狭い親父が描かれている。中学生の俺はこの親父が豪く気に入ってしまい、将来はこんな親父になりたいと思った。そして今、この記事を書いている俺は確実にこの親父そのものになっている。若い時は意識して真似てみたものだが、いつの間にか自然になってた。

この映画の中でデニス・ポッパーの乗った車がカッコ良くて (あくまで俺が見て)ちょっと古めの赤いⅤ8スポーツカーでボンネットは取っ払って外してある。ボディの下側が灰色っぽい塗料で何気に塗られていて、後部のガラスも付いてない。洗車もろくにしてない。多分、チューンナップだけはしっかりやっているはずだ。この車にはもう一つ強烈な印象の特徴があってルーム・ミラーにアナログ式のストップ・ウォッチがセロハンテープで貼り付けてある。このストップ・ウォッチで常に自分やライバルの実力のチェックしている。己の中の凄い狭い世界を真剣に悩み、苦しみ、一喜一憂する。この年になっても俺にはこの親父が最高にカッコ良く見える。俺は本当にこの親父みたいになりたかった。愛車ジェベルも映画のⅤ8に雰囲気が似てきた。四輪、二輪と違いはあるが今の俺はまさにこの親父なんだ。しかし、一つだけ真似たくない事がある。それはラストシーンで主人公とバトルしたカルがイージーミスで崖から落ちて死ぬ事だ。俺も何回か崖から落ちた経験があるが奇跡的にまだ生きている。映画の中ではこのラストシーンが当時のアメリカ映画らしくてピッタリなのだが俺はまだまだ死ぬ訳にはいかない。なぜなら俺には人生最大の夢があるからだ。

それは長生きして家族に看取られながら病060721_13130001 院のベットで死ぬ事だ。「お爺ちゃん、死なないで!」って孫に泣かれてね。いつドジって死ぬかも知れない者にはこの上ない夢だろ?

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2006年7月23日 (日)

暴発!GIG公式練習

060726_23500001_1 107410_1153654397 Photo_1 Photo_2 Photo_3 Photo_4 Photo_5 今日は9月24日に秋田県太平スキー場オーパスで行われる二輪・四輪合同イベントショーGIGの公式練習の日。日頃の鍛えた走行技術を思いきり出して本番の日に向けて、技の種類やスケジュールの調整を煮詰めた。しかし、思いっきりが効き過ぎて過熱気味になり、全出演者全開状態。弩迫力の一日となってしまった。 (二輪・四輪双方ライバル意識丸出しで攻め込んだ。)中でも素晴らしい走りを見せたのが酋長のカワサキZ900によるビックバイクのドリフト走行。大迫力です。スキール音と後輪から出る白煙はハリウッド映画のオープニングに使われても不思議でない位凄い。本番当日、観客はこれを見るだけで入場料の元は十分取れる。まるでテレビゲームから抜け出した様なスーパーテクニック。重量230キロの鉄の塊みたいなバイクが真横に走る姿を想像できるかい?俺も随分色んなモノを見てきたがこんなのは初めてだ。

俺も酋長の真似をしてスライド旋回をしたら初めてにしては感じが良い。 (さすがに高速ドリフトは無理だが)早速、スライドからのワンハンド・ウィリー&ストッピーの連続技をメイク。これが恐ろしく気持ちが良い、癖になりそうだ。次から得意技にしよう。調子に乗って何回もスライドしてたらモトクロス・ブーツの靴底が両足とも剥がれてしまった。酋長が両足に鉄下駄のブーツ底を着けるのは伊達ではなかった様だ。おまけにタイヤが鬼の様に減るのだから恐ろしい。 (酋長のZ900とFTR250のタイヤは丸坊主だ。)この日走った四輪ドリフトチームも本気走りでは4周でタイヤがバースト (破裂)してたからドリフトとは幾らタイヤがあっても足りないモノだと分かった。しかも、あの物凄い音、周りが見えなくなる程の白煙、飛び散りながら鬼減りするタイヤ、今日ここに来た誰もがドリフトは環境にも身体にも絶対悪いと思ったはずだ。

この日、四輪ドリフトチームが酋長の二輪ドリフトを見て燃え、酋長が俺の連続技を見て燃え、俺がうちのチームリーダーの34 (サーティフォー)の見事なウィリーサークルを見て燃え、34が四輪のハイレベルなドリフト・テクニックに負けないと燃え、時間が経つにつれお互いがヒートアップしっ放し。最後には二輪勢が四輪の白煙に対抗してバーン・ナウト (後輪を空転させて白煙を出す技)、ローリング・エンド (後輪を空転させながら旋回する技)、スライド&ドリフトで煙がもうもうの火災現場みたいだったよ。もちろん路面も真っ黒け。これが公道なら全員逮捕だなマジで・・・。仲間の車も走行車両が撒き散らしたタイヤ・ダストでやっぱり真っ黒。 (ゴメンナサイ)途中、仲間がCBR900の後輪をバーン・ナウトでバーストさせたのを合図にやっと終了した。 (はぁ~っ。)練習でこれだから本番がどうなるか想像も出来ないぜ。皆、見ないと絶対損だよ!

練習後、場内を関係者全員で清掃開始。集められたタイヤダストとアスファルトダストの重さは30キロにもなった。今日一日頑張った俺達の情熱の重さだ。

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2006年7月22日 (土)

追い越しジャンキー

俺は追い越しが大好き。でも怖いのは勘弁。俺はどうすれば安全でスマートな追い越しが出来るか真剣に考えた。Ca280008 二輪・四輪で最も大事故になりやすいのが追い越し時の事故。正面衝突になるから当たり前だ。俺は以前、死ぬのが全然怖くない時期があったがそれでも犬死は御免だ。 (今は普通に怖いです。)俺はピンク色の脳みそをフル回転させて安全な追い越しの為に何が必要か考えた。そして出した答えが情報収集だ。

前に抜きたい車両が走ってる。 (遅い速い関係なく)まず前に何台いるか確認。次に道の状態を確認。 (真っ直ぐか、曲がってる?対向車線に何かないかetc)それから対向車両の有無、台数、位置を確認して追い越しのプランを立てる。 (慣れると一瞬か数秒で出来る。)この時、全前方車両の位置や全対向車両の位置、そして全体の車両の流れを認識し、まるで上空から見た様に頭の中でイメージできれば完璧。 (何十回とプランをイメージしてやっと出来る。)そして追い越し。追い越しの全体の流れはこんなものだ。

では実際に追い越しをするつもりでこの記事を見てくれ。自分のマシンが順調に道を走る。すると自分のマシンとは求めた速度の違う車両がいて 自分のマシンより遅く走っている。ここですぐに前の車両に近づいては駄目だ。 (後ろにピッタリ付くなんてのは下の下。)ある程度、離れていた方が周りの状況を把握し易い。特に自分の一台前が大きなトラックやRV車の時は尚更だ。 (スモークを入れた車両も同様)そして前方の車両の数、複数なら先頭の車両までの列の長さ、前車一度のゴボウ抜きが無理な場合は途中に自分のマシンが入るだけの隙間もしくはチャンスがあるかを見る。前方車両確認完了。次は道の状態を把握する。追い越しするだけの道の横幅は残っているか、 (前の車両がブロックする形の時もある為。)道の形状は、対向車線に障害物はあるか、道の破損や道路工事による凸凹などを確認。最後の確認は対向車の有無、台数、複数なら、一台一台の各車の車間距離。 (これは追い越しのタイミングを計るのに重要。)対向車の何台目で追い越し可能かを見る。

追い越しのプランが立った。さぁ、追い越し開始。いやいやまだまだやる事がある。追い越しに要する時間を出来るだけ少なくし、追い越される側の意思に関係なく追い越しを認めさせる必要がある。では何をするのか?まず自分のマシンの追い越し性能を思い出す。自分のマシンが非力ならその分前車と車間距離を大きく取り、安全なタイミングに合わせてその車間を使い加速する。これで追い越し開始時にはすでにかなりの速度差で追い越しに要する時間が短く出来る。この車間を大きく取るのにはまだ理由がある。人は誰にでも本能的に競争心を持っていて追い越されると面白くない。自分の乗った車両がハイポテンシャルな程追い越して行く者を許せなくなり、急に加速して妨害したりする。 (酷いヤツは後から追ってくる。)最悪の場合、追い越しに失敗しても元いた車線に戻れずにそのまま対向車と激突も有りえるのだ。だから追い越しの気配を抜かれる側に感じさせず、気がついた時には妨害の気持ちも持たせない程の絶対的速度差を確保して相手に自分の追い越しを認めさせる。人と人とのトラブルは御免だからな。後、人間には第六感てのがあって追い越し可能でも気が進まない事がある。そんな時はきっぱり止める。 (これが馬鹿に出来ない位当たる。)それと追い越し時は速度もそれなりに上がるから覆面パトカー等の警察車両に注意!

追い越しに自分の命を賭けるほど馬鹿らしい事はない。しかし俺は追い越したくなる。だから一生懸命考え試して作り上げた自分だけの追い越しマニュアル。こんな俺狂ってる?自分でもよく解らない。できれば参考にしないで責任は持たんよ。

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鴉と死神ライダー

俺は改善という言葉が好きだ。ヤマハの部品製造課でこの言葉の大切さを教わった。俺の家でも小さいが工場があって以前は家族3人で稼動してた。親父を説得して金を掛けないから改善させてくれと願い、一年かけて工場の機械全部をチューニング。今は俺一人で十分立派に稼動出来る様になった。おまけに約半分の稼動時間で生産量は前と同じ。俺はちょっとの違いで結果が大違いになる改善=チューンナップが大好きだ。ワンマン・ワークス、俺の城さ。

今日は呪われた一日の話。俺のバイク仲間で死神ライダーの異名を持つ男がいた。別に彼が俺の様に危険でヤバイ走りをする訳ではない。只、不幸な事に彼はツーリングで二人の友人を事故で亡くした。目の前で友を亡くした悲しみから、もうバイクを止めようと思ったそうだ。しかし、彼はバイクを止める事が出来なかった。それから自分の無力さを責めるためか、それとも照れ隠しなのか自らを死神ライダーと呼んだ。そんな彼の事を仲間は冷やかしながらも気の毒に思っていた。そう、この日までは・・・。

俺はオフ車仲間4人 (もちろん死神ライダーも含む)で秋田県田沢湖温泉郷に湯治ツーリングと銘打ってバイクで温泉に行く事にした。出発は朝8時の予定だったが、いつもなら30分前に待ち合わせ場所に着いて仲間を待っているはずの俺が寝坊して遅れてしまった。俺はあわてて起きて当時の愛車KDX200SRで皆の所へ急いだ。走り慣れた道を快調に走る。前方に黒い塊が見える。鴉だった。俺は下手に避けると轢いちまうと思い真っ直ぐ進んだ。 (実は以前、道路に飛び出した犬を車で避けたら、避けた方に犬が逃げて轢いた事があった。)「そろそろ避けるだろ。」鴉は全く逃げず俺のKDXに轢かれガメラの様に回転しながら道路脇に飛んで行った。「げ~!」鴉には悪い事をしたと思ったが、どうにもならんとそのまま道を急ぎ皆と合流した。 (朝から鴉を轢いちまうなんて不吉だとは思ったが)

国道7号線を南下して田沢湖を目指す。途中、カーショップから変な水が道に延々と垂れていた。俺は自分のKDXが汚れるのを嫌い水溜りを避けて走る。そこへ青いRX7が俺達を抜いた。するとDT200の友人N氏がそのRX7に追いつこうとアクセル・オン。その瞬間、彼は転等し彼を避けようと後続の車たちがフル・ブレーキング。あわや多重事故発生か?と思ったが間一髪で止まり、大事故は免れた。よく足元を見ると道に垂れているのは水ではなくオイルだった。カーショップでオイル交換した際、客がオイル漏れ状態ままで帰ったらしい。N氏は左肩・腕に打撲と擦り傷を負った。俺達は気を取り直してツーリング続行。田沢湖の鶴の湯温泉に到着して昼食後、悲鳴を上げながら温泉に入るN氏を除いて俺達は名湯を楽しんだ。

温泉から上がり、夏山の涼しい風に満足した俺達はゆっくりと帰路を走る。秋田市を過ぎ、海岸線に着くと俺達は恒例になった砂浜ランをするため、引き潮で広くなった砂浜をアクセル全開で飛ばす。砂浜ランは波打ち際の波が引いた所を狙って走るとスピードが乗る。メーターは140km/hを指す。すると前方に沢山のウミネコの群れが見えた。先頭を走る俺は朝に鴉を轢いたのを思い出し迂回しようとアクセルを戻した瞬間、バーン!後方から全開のまま突っ込むH氏のXR250と接触。俺達2人は空中を30m飛んでいた。周りの風景がスローモーションで脳裏に写る。「ぐぇっ!」地面に思い切り叩きつけられた俺は意識朦朧だ。ぶつかった地点から10m先に2人のバイクが落ち、バイクから20m先に俺たち2人が落ち、そこから先50mに俺の財布が落ちていた。慣性エネルギーのもの凄さを思い知った俺であった。結局、無事に帰れたのは死神ライダー1人だけ。傷ついた俺たち3人は声を揃え彼に向かって言った。「恐るべし、死神ライダー!」

今、この記事を書いて気が060721_13100001 付いたが死神ライダーは実は厄除けの不思議な力があるだけかもしれない。ラッキー死神ライダー?

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2006年7月21日 (金)

バトル野郎、そこまでやるか?俺。

砂利道最高速アタックの事を書いたら大した事ないってコメントを貰った。全くその通りだ。 (マシンが凄いだけと言ったはずだが)だから今は純粋に自分の技能を問われるエキストームに夢中なんだ。マシンの性能は決して自分の性能では無い。それが分かれば後は己を磨くのみ。ご意見、批判大歓迎!!!俺はこの世で退屈が死ぬほど嫌い。俺の方が凄いと思う者がいれば、ぜひ一度勝負しようぜ。楽しみに待ってる。では今夜もオナニーサイトでも書くか。 (死ぬほど喧嘩好きな俺)

俺はしばらくバイクの世界から離れた時期があった。そんな時に知り合いの子供にミニ四駆を教えられ、子供のおもちゃらしからぬ難しさにハマった。 (俺は依存傾向がある。)その日の晩には本屋に行きミニ四駆の情報を片っ端から集めた。次の日には専用コースを2セット買い、研究の毎日。そして近くの模型店のミニ四駆のコースに通い、速いマシンを見つけてはオーナーの小学生にお願いしてマシンのセッティングを教えて貰う。それだけではまだ足りずラジコン通のバイク仲間にどうすればミニ四駆が速く走れるか相談した。そして年齢制限なしのミニ四駆大会に足を運び、大会に出場しながら優勝者にノウハウを聞いたりしてマシンの創作イメージを頭に描いた。半年後、地元の模型店では馬鹿っ速のお兄さん (子供達から最初はおじさんと言われてたが、俺のマシンが速いのが分かるとすぐに呼び名がお兄さんになった。)として模型店主催の大会ではいつも賞典外扱い。地元の大会が大人が勝つのを恐れ、年齢制限のみの大会になると俺は新たな戦いの場を求めた。

俺のマシンの作り方は大人買い作戦だ。模型店でミニ四駆のシャーシを大量に注文。購入したシャーシを自宅のテストコースで剛性試験をする。その中で試験に合格したシャーシをレースに使い、後はマシンセッティングのテスト用、子供との娯楽用に3つに分ける。だいたい合格するのはシャーシ20個に1個か2個程度だ。 (この当時のシャーシは弱かった。)そして沢山の種類のレース用オプションパーツの中からどんなコースでもそこそこ速い組み合わせの仕様を見つけ出し、確実に完走できる事を目標にした。モーターは比較的に非力なタミヤの公式レース用モーターを好んで使い、非力な分を走行抵抗の軽減やコーナーでスピードを落ちないセッティングでカバーする。もちろん各パーツも精度の良い物を大人買いした中から選び、メンテナンスもラジコン名人から教わった本格的なモノだ。ボディはわざと塗装をせず、純正のシールを使う。 (塗装すると重くなるため)見た目は俺好みのブラフ (実力を隠す事)マシンに出来上がり。鬼の様に金と時間と情熱を掛けたミニ四駆が完成した。

俺は静岡の模型店で遊園地のジェットコースターの様な凄いミニ四駆専用コースがあると情報を聞き、秋田から遠征した。 (3連のループがあり、超タイトなスピードコースだった。)その模型店には1年近く破られていないコース・レコードがあるそうだ。「うちに出入りする子供達は皆メチャクチャ速いです。大人でもなかなか勝てませんよ。」模型店の親父は言った。俺はコースをじっと見る。マシンのセッティングのイメージが湧いた。そして通販で買った怪しげな会社が製造した耐久性がない代わりに馬鹿みたいに回るモーターを使う事にした。 (高価格のわりに寿命は数分)そしてそのモーターに合わせマシンの前傾度を上げたり、飛び出し防止策を講じた。コースインして2分後、コース・レコード達成。模型店の親父に報告。親父は引きつった顔で言った。「大人に本気になられてもねぇ。」俺はその言葉で目が覚めた。子供の遊びを取っては駄目なんだと気が付いた。そして俺はまたバイクの世界に戻ったのだ。

2年後、青森のみやげ物屋で新型のミニ四駆を見つけ、思わず手に取る。昔、俺が求めていたコース走行ギリギリに拡大された幅広ボディ、ロングホィールベース、高剛性のシャーシになっていた。すぐに買い、その夜、自分の集大成的マシンを作った。悦に入り、テレビの上に飾る。次の日、仕事から帰るとその俺の集大成は息子にバラバラにされ無残な姿に・・・。やっぱり俺にはバイクなのか。

そして今年、デカイ兄ちゃんに声を掛けられた。「誰?」その兄ちゃんはミニ四駆時代の俺のファンだそうだ。当時の小学生が俺を見下ろす位成長していた。時の流れは相変らず速い。

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2006年7月20日 (木)

砂利道最高速アタック

060720_00200001 ブログにコメントもらうと元気が出るぜ。今日も危ない遊びの話。’90年代、ビックバイクが最高速の大台300km/hオーバーの実力を持ったとか持たないとかで盛り上がった時代。俺は砂利道で何キロ出せるか挑戦した時期がある。挑戦する前に自分で勝手にルールを決めた。1、オフ車を使う。2、単気筒エンジン。3、コースはダートで主に砂利道で公道。4、チューンナップは無制限。最初の記録は’89年に河北林道で出した155km/h。 (ノーマルメーター読み)車種はカワサキKDX200SRのチューンナップ車。翌年’90年に大潟村の農道で出した。160km/h (ノーマルメーター読み)KTM300TVCのエンデューロレーサー。’91年に大潟村農道でXR630アルベーカースペシャル (XR600改のバハ1000ラリー用マシン)で出した170km/h。 (ヤマハ・アルテシア用180km/hフルスケールメーター読み)’93年大潟村農道をアルベーカースペシャルにホワイトブロス製ダートトラック用レース部品、ミクニTM40キャブレター+ヨシムラ・ハーレーダビットソン用MJN (マルチプル・ジェット・ノズル)で更にパワーアップさせたXR630改660の通称30分スペシャル (30分以上本気で走ると壊れる仕様。)で出した185km/h。 (ホンダ・レース用デジタルメーター読み)’94年大潟村ソーラーライン (ソーラーカー専用コース)脇の砂利道をKTM600LC4にケイヒンFCR39 (AMSフジイ・セッティング)を組んで出した175km/h。 (フルスケール・ノーマルメーター読み)’95年同じくソーラーライン脇をKTM620デュークにケイヒンFCR39+FCR用バクダンキット (ケンソー・AMSフジイ共同開発)を組んで出した180km/h。

以上が俺が出した記録。最高で185km/hがやっとだ。砂利道では180km/hが大台って感じになる。今ならツインエンジンでこんな速度はすぐに出ちゃうと思う。一時はZZR1100で砂利道最高速に挑戦するか?と思ったが、思ったその日の夜から悪夢にうなされる様になったので流石に止めた。砂利道での最高速アタックは意外にすぐ慣れる。なぜなら100km/hも200km/hも道路脇から人や車が出たらどうにもならない状態なので最初から諦めると怖さがなくなる。あの世に行く時は一瞬だ。覚悟が決まると気持ちが楽です。 (安全かどうかは別として・・・)アタックする時はロード用ヘルメットを被る。オフロード用だとバイザーが伏せた時に邪魔になり、外すと風圧でゴーグルが目に食い込む。ウェアはバタつかなければ何でも良い。アタック中はなるべく背中を伸ばしマシンに這うように伏せる。右手はアクセルを全開にした腕が水平になる様にし、左手はハンドルの付け根を持つ。 (よく左はフロント・フォークを持つと言われるが、それだともしもの時のブレーキングにすぐ移れない。)足はつま先立ちでステップに乗せる。予めコースの危なそうな所を頭に入れておき、視線が可能な限り前方を見る。マフラーの抜けがいい時は耳栓も忘れずにした方が良い。林道でやる時はサスを固めないと水溜り跡のギャップで飛ぶから注意。 (国産バイクは特に)最後にバイクの任意保険、生命保険は必ず入る事。

こんな馬鹿みたいな事やるヤツはあまりいないと思うが、世界は広いから俺よりもっと凄い人が沢山いるはず。ただこれだけはハッキリ言える。最高速アタックはライダーが凄い訳じゃなく、マシンが凄いのだから勘違いしない様に。マシンあってのライダーだから。

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2006年7月19日 (水)

初恋ライダー

060717_09430001 今日はシートレールが直ってから最初の練習。おっ、休んだわりにいい感じ、調子良し。今日もギャラリーはキジ1羽。先月に原付ツーリングにジェベルで混ぜてもらったんだがとても面白く愉快だった。その時の事を詳しく書きたい。前から俺が通ってるバイク屋で原付ツーリングを時々主催したがなかなか忙しくて参加できずにいた。4ストの単気筒は250ccまで参加OK!と聞いていたので、いつかはと思っていた訳だ。そして先月、待望の原付ツーリングに行く機会があった「たかが原付で何嬉しがってんだよ。」と思うだろ?甘いね。大人が今まで温めてきたノウハウで作った原付は一味も二味も違う、ライダー人生の集大成マシンだ。舐めてはいけない。聞いて驚け!

朝8時出発予定で13人のメンバーが集まり、20~50歳代の原付マニアが自慢のチューニング・マシンを乗って来た。ホンダのカブ系エンジンの車両が多く、一目で金も手間も相当掛かっているのが分かるマシンも何台か来ていた。出発時間になり、それぞれが適当にスタート。2分もしない内にマシンのポテンシャル差によってグループが出来た。俺は先頭グループの後ろについて走った。俺の1台前のモンキーが原付としてはとてもハイペースなスピードのためにエンジンが壊れるのを恐れ戦線離脱。 (後で聞いたら88ccのキットを組んだがギヤ比の変更までは手が回らなかったそうだ。)ジェベルのスピードメーターは100km/hをすでに超えている。「おー、けっこう速いな。」そう思ったのも束の間広域農道に入った瞬間、更にペースは上がる。広域農道に入り先頭グループも縦に長くなりトップが見えなくなる。俺は堪らなくなってトップの後ろに付くため追い越しをかけた。俺のジェベルはチューンナップしてあるのでエキストリーム・バイク用にドライブ・スプロケット (フロント)を2T下げても140km/hは辛うじて出る。しかし、無理に回転を上げてエンジンに負担を掛けたくないので長い登りを利用して近づいた。トップの黄色いモンキーが下りでスピードを乗せる。背中を丸め、一つの塊の様になってドンドン加速した。俺も一定の距離を保ちながら前のモンキーを見守る。足回りが8インチ・ホイールのままのモンキーは140km/h近く出ていた。 (モンキーでこのスピードは相当怖い)油断すると離れそうになる。あわててアクセルを開けた。後ろでも後続の原付たちが俺の後ろを離れまいと付いてくる。もはや原付の速度域を遥に超えている。「ひょえ~!」日曜日の朝、観光地に向かう家族連れのスポーツ・セダンを皆がブンブン追い越して行く。バイク本体が小さくカワイイだけに抜かれた車のお父さんはバツが悪そうだ。長い広域農道が終わるまでこの調子だった。俺は自分の周りを走っている原付たちがグレムリンに見えてきた。

広域農道を過ぎてから道の駅で休憩。トップの黄色いモンキーの情報を本人や周りの者に色々聞くと、このモンキーはちょっと特別らしい。なんでもあるバイク屋のメカニックが何年も失敗を繰り返しながら研究してやっと作り上げた傑作エンジンだと言う。それを今のオーナーが譲り受けたのだそうだ。他にもう1台ハイパワーのモンキーを持っているが耐久性に問題があり、このモンキーほど安心して回せないとオーナーは語った。それだけこのエンジンの出来が良いと言う事か。マフラーはモリワキのチタン・マフラーを装着。前後のスプロケットは同じ歯数、つまり思いっきりの超高速型ギヤ仕様。 (スタートは半クラスタートが必要。)足周りもそれなりにイジってはいるが、とてもあのスピードで走れる感じには見えない。オーナーのやる気と根性があのスピードを維持させるのか?恐るべし。

この日は一日中、大人が乗る原付ってモノに魅せられてしまった。皆、少年の頃乗っていた原付や欲しかった原付を手に入れ、想うがままチューンナップする。そして初めてバイクに乗った興奮と感動を何度も蘇らせ、仲間と走る楽しさを忘れまいと大事にしている。俺もここ数年、バイクを素直に楽しむ気持ちを忘れていた。純粋にバイクを楽しむにはこの原付ツーリングは最高だ。パソコンの前の皆さんはどう思う?ご意見、感想があればコメント貰えると嬉しい。原付ブラボー!

今度の冬季のアルバイトで真っ赤なリトル・カブ買うぞう!

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2006年7月17日 (月)

エキストリームの漢達(おとこたち)

俺が住んでる秋田県男鹿市 (ナマハゲが有名)は飲酒運転等の交通違反者が異常に多い。だから取り締まりがある日には前もって市内に設置されたスピーカーで警告放送する恐るべき地区だ。俺はこんなマッドな男鹿市が大好き。ほう、明日からはシートベルトの取り締まりか・・・。

エキストリーム・バイクの話が好評なので、去年の9月に日光サーキットで行われた練習会&競技会の話をしたい。俺の目から見た日本のエキストリーマーの在りのままの姿を書く。エキストリーム・バイクには欠かせない物と言えばウィリーバーだ。このウィリーバーはほぼ全員が装着する。ウィリーバーが無い場合、代わりに左タンデム・ステップを使うが日本ではウィリーバーを使うスタイルがメインだ。中には本当にこのマシンでやっちゃうの?って思うヤツもある。スズキGSX1100刀にウィリーバーが付いてるのにはびっくりした。刀のスズキ70周年限定記念モデルがえらいスピードで直角ウィリーしてウィリーバーから火花を出して行く。会場から勿体ねー!の声も出るほどだ。しかもやってるヤツはジーンズにアロハシャツ着てまるっきり普段着だ。それだけテクニックに自信があるのだろうが見てる方は心臓に悪い。 (俺は彼のヒジが傷もなく綺麗な事からかなりのセンスの持ち主と見た。)これだけで来た甲斐があった。これには他のエキストリーマーもマジで驚いていた。しかもこの刀のチームには更に驚くべきヤツがいてGSX250Rでパワーウィリーする。しかし、尋常ではない。ウィリー開始のクラッチミートの回転数が16000rpmでこの世の終わりのような凄い唸りをエンジンが上げながらトリックする。迫力は刀と共に№1だ。 (普通、こんな全開状態からクラッチミートさせてウィリーはしない。カタパルト無しでロケット飛ばす様なモノ。)ヤバさがガンガン伝わってくる。次はスズキのストリートマジック50 (通称ストマジ)だけのチーム。本人達はとても志が高く、真面目にストマジを極めようとしている完全プロ集団。時にコミカル、時に神業的トリックをメイクし、会場の客に安心してもらって離れ業を見せる。これなら立派な大道芸として石原東京都知事に大道芸人ライセンスを発行して貰えそうだ。それだけ楽しさ溢れるトリックをする。 (もう少し人数増えたら東京ディズニーランドでパレード出来そうだ。)イギリス・マン島の50ccスーパーカブ専門スタント集団パープル・ヘルメッツと張り合えるのは世界中で彼らしかいない。今後の彼らの活躍に期待する。次に俺が見て感動したのがオフ車エキストリーム・チーム、リッキーズのチキン師匠 (年は俺よりかなり若いが、俺の目指すエキストリーマー像に最も近い。)とOGA氏 (男鹿市ではない。)によるチームFEXだ。師匠のコンボ・ウィリー (ウィリー状態でワザの種類が次々と変わる一人岸和田だんじり祭り。)は目が離せない。そんな時にこんな事して大丈夫?と思わせるトリックが最高にクールだ。しかし、当人にとっては極普通の業らしい。OGA氏は俺のチームのリーダー、34が感心するほど重量の軽いオフ車らしからぬ安定したトリックをメイクする。2人とも全国のオフ車フリークの目標的存在だ。師匠は最近ビックバイクにマシンを替えたが相変わらずのだんじりぶりだったと聞く。いずれ師匠が世界で唯一できる荒業をお披露目する日は近い?俺も頑張らなきゃな。

後、ベラボーに上手かった (凄すぎて会場中が固まった。)神の集団、空海のSinさんとそのお友達チーム。別格です。世界GPの開催パレードでスタントしてる本場ヨーロッパのライダーを見ている様でした。ウィリーサークル (ウィリー状態で旋回)の左旋回後の右旋回。この人達はこのワンセットが出来て当たり前だとか。ノーハンド・ウィリーサークルも簡単そうにやっちゃってくれる。人に聞けば凄い練習量をこなすそうだ。俺が想像するにモチベーションが常人の3倍以上ないとそんなに練習出来ない。しかもマシンを壊して練習出来なくなるのが一番困るそうで、エンジンを傷める可能性大のエキストリームの花形バーンナウト (後輪をスリップさせてスモークを出す。)はしない。ギャラリーを驚かすのが使命のエキストリーマーにおいて、それだけ他の業が凄くて素晴らしい達人だから許される行為だ。 (ファンタスティック!)練習では自分がまだ出来ない事に常に挑戦するのが日課と聞く。これほど心も身体もハイレベルのスポーツマンは日本でも数少ない様に思う。久しぶりに侍を見た。爪のカケラでもいいから煎じて飲みたい。

ここでまた告知!9月24日、この神の集団、空海が秋田県太平スキー場オーパスで行われる二輪・四輪合同イベントショーGIGにおいてその神業をお披露目する。ぜひ、ご家族・ご友人多数お誘いの上ご来場あれ。俺もジェベルで前座に出ます。 (開場午前10時、当日券あり) 060503_18180001

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2006年7月16日 (日)

峠のオフ車(奥多摩)

060717_09430001 やっとシートレールの修理が終った。最近、気合入れすぎてウィリーバー擦りすぎた。壊さない様にしなきゃな。では今日は懐かしい峠の話。 ’87年の峠ブームの頃、俺は東京青梅市の奥多摩有料道路 (当時は有料だった。)によく走りに行った。週末ともなればコーナーというコーナーがバイクで溢れかえる位、沢山のバイクが集まった。当時の俺は峠で知らないヤツとすぐにバトルできるのが非常に面白くてハマっていた。この時乗っていたマシンはホンダXL200R、200ccながら馬鹿に出来ない速さを持っていた。とにかく乗り易く開け易い全開マシンだった。俺はある夏の日曜日、友人と友人の仲間も入れて5人で奥多摩にバイクで走りに行った。純粋に走りだけを楽しむヤツは柳沢峠へ行き、自分の走りを他のヤツラに見せ付けたいヤツは奥多摩有料道路に来る。俺はミーハーだから人気のある奥多摩が好きだった。

各地の峠には大抵、馬鹿速いオフ車の噂があり奥多摩にも速いオフ車が何台かいてレーサーレプリカ・マシン相手にバトルしていると前から話は聞いていた。だがこの日ほどオフ車がその速さを周囲に見せ付けた日は無かったと思う。仲間達と一通り走った後、駐車場で休んでいると2台のオフ車が目に停まった。1台はDT200のフロント・タイヤに18インチのロードタイヤを履かせたスーパーバイカーズ仕様。もう1台はXLX250でタンクをトリコロール・カラーに塗ったマシン。二人とも皮ツナギを着ている。 (俺はオフロード・ウェア)2台はそれぞれが他の仲間達と来たらしく、向こうも俺の事が気になる様だった。俺がついに我慢出来なくなって一歩前に進むと向こうも我慢できずに俺に近づいて来た。俺達は自己紹介もせずにオフ車談議を始める。話をしてみるとお互いがオフ車で峠を走るのが大好きで、オフ車の隠れた性能に魅了された者同士だと分かった。普段、仲間内で自分だけがオフ車で走っていると言う。皆同じだった。「どう、一緒に走らない?」DT200が提案する。「いいねぇ。」全員意見が一致して3台でつるんで走る事にした。

登りはDTが先頭、真ん中は俺のXL、最後がXLX。下りはXLXが先頭、真ん中はやはりXLの俺、最後がDTだ。ギャラリー達が興味深そうに俺達を見守る中、何台ものレプリカ・マシンを掻き分けながら走り抜ける。DTとXLXはハングオン・スタイル、俺は足出しリーンアウトで攻め込む。俺達は周りの雰囲気を打ち消す様に異彩を放ちながらコーナーに入る。3台ともステップから火花を出してコーナーを抜けた。約1時間、沢山のレプリカ・マシンを飽きるだけブチ抜いた俺達は料金所脇の駐車場で休憩する。「なぁ、後ろから白バイ追って来てたの分かった?」DTの男が言う。「え、本当?」どうやら気が付かないのは俺だけの様だ。「まぁ、良いんじゃねぇの。」XLXの男がそう言って場を収めようとした時、DTの仲間の一人が近づいて来た。「おい、おまわりが呼んでるぞ。」見ると40歳代の白バイ警官が半ば呆れ顔でこっちを見ている。俺達3人は警官に呼ばれ近づいた。「おーっ、お前ら速すぎ!」警官の第一声がそれだった。警官は叱るのではなく俺達の速さがもったいないから警官になって白バイに乗れと盛んに進める。説教そっちのけで褒められると嬉しい。俺達がそらぞれの理由で警官になれない訳を知った警官は「そうかぁ、白バイ警官にはお前達なれないかぁ残念だなぁ。で、なんでキップ切って貰いたい?」と言う。「えっ。」俺達はてっきり勘弁して貰えると思っていたがそれはそれ、これはこれらしい。「じゃぁ、一番点数の低いヤツで。」俺は言った。「ん、通行区分違反ね。」全員警官に免許証を渡した。「しかし、汚い免許だなぁ。」俺以外の二人の免許証の裏は違反の経歴スタンプで真っ黒だった。俺達は違反キップを仲良く切られた後、それぞれの仲間達と共に別れた。キップを切られた事よりも自分と同じオフ車好きの仲間がいた事が嬉しい。その日は最高にハッピーだった。

あの頃は名前なんて要らなかった。自分達がこの世に存在して、バイクで走れたら仲間になった。そんな時代だった。決してそれが良いとは言わないが楽しかったことだけは鮮明に憶えている。ちょっぴり青臭い思い出だ。

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秋田イズム

今日、練習する前にマシンチェックをしたらシートレールが2ヶ所折れていた。アッチャー!明日しっかり直すための修理の段取りをする。新たな補強方法を考えないとダメだ。今度はガッチリ作ってやる。今日はアマチュアイズムについて書きたい。地元秋田県はスポーツにおいて優秀な人材が多い。しかし、全国レベルで考えると今一歩。訳は簡単、地域が選手に金を掛けたがらない為だ。どんなスポーツでも上手くなるにはそれなりに金と時間が掛かる。 (交通費、遠征費、宿泊代等)特に一流選手を作り出すとなれば金額も張るのが当たり前だ。優秀な選手により良い環境を与えその競技のためだけの生活をさせる。こうなればやっている事はプロ顔負けで違いはその競技をする事でお金を得るか得ないか位でしかない。そんな事は当たり前なのだが地域のお金を動かせる立場の人は少し考えが違うらしく、スポーツ施設だけをドンドン作り全国比で200%の入れ物だけを充実させて選手の成長に必要な経費を減らしていく。アマチュアなんだからと言ってね。だから優秀な選手は他県に移籍したりそのまま競技を辞めてしまったりで悪循環を繰り返す。稀に成功しても秋田には帰って来ない。 (プロ野球、現中日監督みたいにね。)地元のヒーローが出ない競技など人気が出る訳もなく新しく競技を始めようという者もいなくなる最悪のシナリオだ。

一般競技がこれなのだからモータースポーツ、特にバイクはもっと酷い。完全暴走族扱い。秋田県はここ数年モトクロス国際A級の選手を何人も輩出している。エキストリーム・バイク以上に人気のあるフリースタイル・モトクロスを日本で初めてショーとして開催したのも秋田が最初だ。 (実は当時モトクロスコースにしていた俺の土地で行われた。)俺はエネルギー溢れるライダーが地元のちびっ子ライダーを引っ張ってモトクロス強豪県秋田誕生か?と期待したのだが現実は意外な展開になる。MFJ (日本モータースポーツ協会)の公式モトクロス場が無くなり秋田県での選手権が行われないのだ。モータースポーツを頭から否定する輩が1ヶ所あった公式モトクロス場を廃止にさせ、新たなモトクロス場の設置に反対してしまう。秋田のバイク嫌いはこれ以前からも酷く、20年前にはMFJが全国から200人のライダーを集い、地元海水浴場でキャンプを行うイベントを企画した。当日、集まった200人のライダーに対し地元海水浴場関係者達は「帰れ!この暴走族がぁ~!」と追い出してしまったのだ。MFJは面目丸潰れである。 (ちなみに秋田ではちゃんとしたライダーが暴走族で、本物の暴走族は自分とこの兄ちゃんで地域の若者だ。)バイク嫌いな秋田県に俺はいずれ一発食らわしてやりたい。俺の土地を完全なダートコースにして毎週休日にレースを行う。エントリーは当日受付のみ、人数が何人か集まればレース開始。レースのカテゴリーは独自のモノにする。モトクロスタイヤ禁止 (砂埃が畑農家から嫌われるため。でもフラットだから大丈夫!)それさえ守ればマシンはマシンはレーサーだろうがトレール車で何だろうが構わない。誰でも簡単に走れ、昔慣らしたOBライダーも気軽に走れスカッと飛ばせてストレス解消が出来る様なコースを造る。優秀な選手にはスーパークロスみたいなコースを別に用意して虎の穴みたいにガンガン走ってもらう。 (こっちはモトクロスタイヤOK!)誰にも文句は言わせない。過疎地域で少子化で自殺が多い貧乏な秋田県にオフ車のパラダイスを造りたい。そして地元の若者にモータースポーツをもっと理解して貰いたい。 (年寄りなんかどうでもいい。)一見危なそうなモノほど楽しいからX系スポーツが流行るし、カッコ良く見える。若いヤツの魂を震わす事が出来ない地域はスラム化しちまう。バイクは楽しい、バイクは危ない、だからバイクはカッコイイ。俺もまだ夢中だ。まずは9月24日の二輪・四輪の過激でエキサイティングなイベントショー、GIG (秋田県太平スキー場オーパスにて午前11時開場)を成功させる事が先決。過激な事をサラッとやって平然としてる。そんな男に俺はなりたい。やってる事はアマチュアでも心はプロだ。日々精進精進!

最近、苦労してモトクロス国際A級になった若者が走る場所を無くし、族車に乗ってウィリーしてるのが秋田の実状だ。GS400の白い三段シートが悲しく靡く。

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2006年7月15日 (土)

独自の世界(エキストリーム・バイク)

Ca280003_1 昨日から夕方になるとモヤが出て湿度がかなり上がった。そのせいでウィリー時のマシンの調子が今ひとつダメだった。今日はジェットニードルクリップ段数を0.5段下げた (薄いワッシャーを使い0.5段を作る)このセッティングのおかげでいつも以上に調子が良くなり非常に嬉しい。今日はエキストリーム・バイクのなかなか教えてもらえない特殊な世界を俺なりに解りやすく説明したい。

エキストリーム・バイクにおいて一番初めにやる事は壊れづらいマシン作りから行う。誰もが初めから上手い訳ではないので転倒、落下その他アクシデントを経験する。皆それは覚悟の上で日々練習に励むがマシンの修理ばかりで練習にならず、経済的にもピンチになんて事も多々ある。だから壊れづらいマシン作りが重要になる。まずはエンジンガード、オフ車では必要ないがエンジンの大きなビックバイクはこれが無いと壊滅的にクランクケース&ジェネレーターに被害がでる。装着するガードは主に鉄製で非常に丈夫に自作&特注で製作した一品物を使用する。やっと最近になってアメリカ製の物が見られる様になったがまだまだ少ない。次はハンドル。ヨーロッパ・スタイルを好む人はトライアル用のアルミハンドルを使い、ラスベガス・スタイル (日本ではウォンウォン系と呼んでる。)を好む人はセパハンのままでトリックをメイクする。オフ車はモトクロス用ハンドルの丈夫な物を使用する。 (俺のジェベルはクロームモリブデン鋼製ハンドルを使用。)日本ではラスベガス・スタイルは少数派で腕力に優れるアメリカ人だからセパハンで良しなのかも知れない。どのマシンも転倒時の破損を考えてハンドルレバーは切り詰めている。次に大事なのがシートレール。 (サブ・フレーム)ウィリーバーを直角ウィリーで路面に擦ったり、足を掛けてウィリーを長時間練習をするとノーマル状態のままでは遅かれ早かれ破損・脱落が起こる。だから皆それぞれのノウハウで補強もしくは新造して大幅に強度を上げる。 (これも死活問題レベルに重要) 

後、目指すトリックのスタイルでもセッティングが変わる。ヨーロッパ・スタイルだとギヤ比の変更はドライブスプロケット (フロント)を2T下げのギヤにした位だが、ラスベガス・スタイルではリアスプロケットに70~90Tの超大径スプロケットを使う。 (通称デカロケ)このデカロケは普通、リアスプロケットを大きくするとトルク感が増すモノのだが、あまりにも大きいためリアタイヤが一回転するためにドライブ側がかなり回転する必要があり、逆にトルク感が激減するらしい。 (トリックがフワフワした感じになる。)またラスベガス・スタイルではこれに左リア・ハンドブレーキが追加されオンザ・シート・ウィリーサークル (シートの上に立ってウィリー状態で旋回する。)等のトリックを容易にさせるのだ。この左リア・ハンドブレーキが曲者でリア・ブレーキマスターに連結している為、リア・ブレーキキャリパーだけでなくリア・ブレーキマスター本体にも油圧が作用するから思った以上に効かない。 (ハンドブレーキを握るとリア・ブレーキペダルが上がってくる。)だからオフ車では調度良いがビックバイクではレバー四本掛けの馬鹿握りをしないと効かない。またハンドル・グリップは細身で引っ掛かりのないタイプを使う事が多い。 (TZタイプが最適。)ノーハンドウィリーなどをした時、ハンドルに手を戻した瞬間、アクセルグリップにグローブが引っかかりエンジンの回転が上がり暴走するのを防止する為だ。

独特なのがエンジンのアイドリング回転数が高い事。3000~4000rpm前後にする。これはウィリーサークルやノーハンドウィリーを容易にするため。しかし、エキストリーム・バイクは回転計を装備しない事が多いのでノーハンドグルグル (バイクに乗りハンドルから手を離した状態でハンドル・フルロック旋回するトリック。)を行い、それに調度良い回転数がだいたいこれ位に相当する。

他にも色々あるが全部はとても紹介出来ないので、ここで俺のジェベルのセットアップを紹介したい。まずは先ほど説明したハンドル (俺はサビ・フェチなので塗料を剥がしワザとサビさせている。)手前のタンクキャップ。長時間ウィリーするとノーマルキャップからガソリンがダラダラ垂れてくるのでFTR250用に交換。 (ワンウェイ・バルブ付き)ステップペダルは硬いステンレス製を用い転倒での破損を無くした。チェンジペダルは踏み付け部をカットし、どんなに転んでも地面に接地して曲がる事が無い様にしてある。またキャブレターにもウィリー時にフロートが下がり、ガソリンがフロ060714_17190001 060714_17220001_1 ート室を満杯状態にし、エンジンがカブるを抑制するためにフロート室の底にリミッター (ネジ)を付けてある。  

エキストリーム・バイクはマシン自体もエキストリームなのだ。 

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2006年7月13日 (木)

50ccロマンス

今日は前から一度書きたかった事をを書く。それは50ccバイクの重要性についてだ。また俺の昔話になるがTLM50 (50ccトライアルの市販車)で埼玉県の桶川で50ccエンデューロレース (2時間耐久)に出場した事があった。TLMは最高速が60キロ位しか出ない。しかし、いざレースで走ってみると馬鹿にしたモノでもなかった。他の50ccと比べて非力なエンジンでも非常にクロス・ミッションの具合良く、ダートコースでのスピードは必要十分だった。結局、レース成績は2位だったが1位が2名のペア・エントリーだったから一人で走った成績としては上出来だ。俺はこのTLMに50ccバイクのダートコースの走り方を教わった。中学の頃、体育の先生が100メートル走の走り方を授業で教えた。先生が言うには「以前のオリンピックではゴール手前から飛び込んでゴールしていたが、後でゴール地点を越えるまで走ったままの方が速い事が解り、それからは飛び込んでゴールする者はいなくなった。」と教えてくれた。なるほどと思った。しかし、非力な50ccでダートを走る場合はこれとは逆に飛んで、飛んで、飛び続けた方が圧倒的に速い。なぜ俺がそれが解ったのか?それはTLMだから解った。

TLMは50cc本格的トライアルバイクのためエンデューロレーサーとしてはサスペンションのストロークが少し足りない。そのためスペードが上がるにつれ車体が激しく上下する。そこで俺はギャップ (凸凹のコブ)が来るたびにハンドルを引いて飛ぶ事にした。すると非常に調子が良い。それならばと次はギャップ一つ一つをサスの反動を利用しながらハンドルを前に押し、遠くまで飛ぶライディングスタイルを変えてみた。するとダートコースの路面抵抗による速度低下が全く見られなくなった。俺はこのテクニックを使ってレースを走ったのだ。

’89年にホンダがCRM50を発売して俺はすぐに購入した。納車日に速度リミッターを外し慣らし運転を行う。慣らし運転といっても特別な事はしない。一度に沢山の距離は走らずに速すぎず遅すぎないスピードで幾日もかけて行う。慣らしが終わってすぐに秋田県鹿角市で行われる十和田素人モトクロス杯に出場した。素人モトクロスといっても初心者は少なく殆どが上級者だ。俺はCRMのフロント・フォークスプリングを自由長の長いスプリングに交換し、リア・サスはスプリングをギリギリまで締めこんでジャンプに対応したモディファイを施した。レースはTLMのおかげで身についたテクニックを使い、2位以下を全員ラップして優勝した。 (翌年も優勝)CRMの速さに会場の皆が歓心する。CRMの速さはモトクロス・コースだけではなく林道でも発揮された。林道ではブラインド・コーナーが多い。CRMは車体が小さく軽いため突然コーナー前方に何かあっても (シカや車が停まっていたりする。)すぐに止まれるし避けられる。だからアクセルも開けたままの進入が基本。ストレートや坂の登りで排気量の大きなバイクに抜かれたとえ置いてけぼりにされても心配御無用、坂を登り終わった後の下りで車体の軽さと足の良さ使い思いっきりの高速ダウンヒルが堪能できる。このダウンヒルがハンパではなく一緒に走った相手が林道の達人ライダーでないなら十分追い越し可能だ。 (通常、ダウンヒルはとても難しいので50ccなら相手のリードを帳消しに出来る。)どうだい、50ccも馬鹿にしたモンじゃないだろ?50ccはバイクの素晴らしさ、凄さを皆に教える大切な先生なんだ。俺はどんなに排気量のでかいバイクに乗ろうが50ccを舐めてかかる様なヤツに大したヤツはいないと思っている。なぜなら上手なライダーほど自分が小さなバイクでやれない事は大きなバイクでは絶対に無理なのを知っているからだ。だから大きなバイクで練習する前に必ず小さなバイクでみっちり練習して段階を踏む。上手いヤツは50ccではもっと上手いのが当たり前。舐めちゃぁいけないぜ。

日本初の女性でロードレース国際A級になった堀 ひろ子さんも言ってたぜ。「50ccから始めよう!」てな。060713_21370001_1 

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オートバイの科学と俺

060712_20550001 高校生の頃、オートバイの科学という本を本屋で見つけ、そのタイトルで思わず買ってしまった。非力な単気筒で1000ccのビックバイクと対等に走るにはどうすればいいか?と大真面目に書かれてあった。元モータージャーナリストの島 英彦さんの著書だ。俺は柔よく剛を制す的な考えをこの本を読む事でしっかり頭に植えつけられてしまった。絶対的なパワーよりトータルバランス (ライダーも含めて)が重要だといつの間にか教え込まれた感じだ。だから今でも俺は単気筒のオフ車にこだわってしまうのかもしれない。実は今、手元にあるこの本は二冊目でしかも元々俺の物ではなかった。自分が買った本は静岡のヤマハ本社工場でアルバイトしてた時、仲良くなったバイト仲間に貸して、返してもらう前に俺が地元秋田に帰ってしまったため、それっきりとなった。またこの本が欲しくて何度も本屋に注文したが手に入らずとっくの昔に廃刊していた。古本屋に行ってもこんな特殊な本が見つかる訳が無い。しかし、今この本がここにあるのは巡りあわせか只の偶然なのか。ちょっとした理由がある。俺の心の中にはいつもこの本があってバイクに対する取り組み方は全部この本が基本になっている。だからこの本がまた欲しくて欲しくて堪らなかった。そんなある日、偶然この本と出会う事になる。

俺は’95年に筑波サーキットで開催されるターミネーターズというオフ車で行われるロードレースに参加する事にした。出場するにあたりFCRキャブを入れたKTM620デューク (AMSフジイ・チューン)に少しでも速くなる様にとKTM純正のレーシング・マフラーを組んだ。しかし、このマフラーはかなり抜けが良かったためキャブセッティングがこのままで良いのか不安になった。 (AMSフジイの完璧セッティングが崩れる事を恐れた。)そこで当時やっと全国に普及し始めたバイク用シャーシダイナモをバイク嫌いで有名な秋田県 (ここ数年沢山のモトクロス国際A級ライダーを輩出した秋田県だが現在県内に公式モトクロス場は1つも無い。)にいち早く導入したショップ、モトグリフィンへパワーチェックとセッティングをお願いしに行った。秋田では珍しい都会的な感じのする店内、その中央に所狭しと設置されたシャーシダイナモ。そしてパワーチェックされたデータを映し出すモニター。そのモニターのすぐ隣に本棚があって沢山並べられたバイク本の中にこのオートバイの科学が混じっていた。思わず手に取り店主とこの本の話題で盛り上がった。しかし、まさかいくら欲しいからといって「売ってくれ!」とは言えない。一目で店主が研究熱心と解る店内で彼にとってもこの本がバイブルなのは自ずと伝わってくるからだ。出したくても出せない言葉の代わりに俺が発した言葉は「これ、もう廃刊になってますから大事にした方がいいですよ。俺、それが分からずに人に貸したらそれっきりです。」その一言で店主は俺の気持ちをすぐに悟ったみたいだ。「しまった。」俺は自分の下衆な気持ちを悟られ恥ずかしくなってさっさと用件を告げて店を出た。 

2週間後、バイクを取りに来てくれとモトグリフィンから連絡があり、すぐに取りに行った。俺が店内に入るなり店主が俺に向かって言った。「このバイクどこでセッティング出したんですか?こんな綺麗なパワーカーブ (出力測定の線グラフ)見たこと無いですよ。」俺は驚いた口調の店主に事情を話す。「このキャブは埼玉のAMSフジイさんの所で組んでもらったモノです。」研究熱心な彼がAMSフジイの名を知らぬ訳が無い。その一言で店主は納得した。結局、デュークは持ち込んだ時以上のセッティングは出せなかった様だ。 (冷静に考えれば無理もない)デュークをトランポに積み、帰ろうとする俺に店主が言った。「いやー、今回は良い勉強をさせて頂きました。」思わず恐縮した。

それから10年、モトグリフィンの店主は不慮の事故で亡くなった。その後、店主と交流のあったバイク屋へモトグリフィンに置いてあったシャーシダイナモと書籍が運ばれた。この交流があったバイク屋が実は現在俺が通っているバイク屋で、亡くなった店主の意思を受け継ぐかの様に遺品のシャーシダイナモで日夜キャブセッティングに励んでいる。このキャブセッティングに励むバイク屋の社長も実はオートバイの科学を持っていて、以前からよくこの本が話題に出た。ある日、バイク屋の中に入ると俺の足元に沢山のバイク関係の書籍が入った箱があった。「この本何?」と聞くとモトグリフィンの店主の遺品だと言う。俺は中を見る。箱の底の方にオートバイの科学があった。「これ、貰ってもいい?」俺が聞くと社長は答えた。「ぜひ、貰ってやって。」社長は自分と同じくこの本の偉大さを知る俺にならと本をくれた。何の偶然かあの時、心から欲しかった本が俺の手元にある。もしかしたら死んだ店主が俺の気持ちを察して俺にくれたのかも知れない。俺はそう思いたい。

ありがとう。

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2006年7月12日 (水)

遠州灘アウトライダース?

実は間違えて書いた記事消してしまった。チッキショー!気持ちを取り直して書く。今日は俺が初めて集会 (バイクミーティング)に参加した時の話だ。’93のたしか2月頃、XR630アルベーカーで静岡県浜松市の遠州灘海浜公園でやった集会に参加した。当日の夕方、現地に到着すると何か様子が違う。「どうした?」と主催者の男に聞くと、地元ローリング族の兄ちゃん達が駐車場で走っているが、話は通してあるので大丈夫と言う。少し待っていると兄ちゃん達は走るのを止め、駐車場上の公園から俺達を興味深そうに見ている。「どうやら、終わったらしいぜ。」主催の男の合図で俺達も駐車場奥にバイクを停めた。俺達は一人ずつ自己紹介をして主催の男が淹れたコーヒーをすすりながらバイク談義に花を咲かせた。1時間位経った頃、遅れて二人の男がバイクに乗って来た。一人はCB750ボルドール、もう一人はステード600のカスタム。二人ともバトルスーツを着ている。ボルドールの男はジェイソンと皆から呼ばれていた。 (もう一人の名は忘れたが茶髪のロングヘアーでムッシュかまやつに似ていた。)ワイルドな二人が加わり集会もにぎやかさを増す。時間が経つのも忘れて俺達は喋りまくる。そんな中、近くにあった自動販売機の前でムッシュとジェイソンがローリングの兄ちゃんの一人と喧嘩を始めた。「なんだとぉ、このクソガキィ!」ムッシュが腰に下げていた十手を手に取り、兄ちゃんのヘルメットを被った頭を連打した。焦る皆とは逆に俺は「こいつ、上手いな。」と思う。普通、あの立ち位置から本気で痛めつけるなら鎖骨や背中を狙う。ヘルメットの上からなら一切相手を傷つけず、その音の派手さで他の兄ちゃん達も威嚇・牽制できる。精神的ダメージ攻撃だ。派手な音が響いた。緊張が走る。主催の男が間に割って入り喧嘩を止めた。嫌なムードがしばらく続く。しかし、それ以上騒ぎにはならなかった。

俺達が落ち着きを取り戻した二人を囲みまた楽しい会話に戻ろうとした時、やられた兄ちゃんがNSR50で駐車場を回り始めた。ヤツの面白くない気持ちが分かるだけに俺達は放っておいた。段々調子に乗ったNSRは俺達を煽る様に走って行く。またムッシュとジェイソンの顔色が変わってきた。「しょうがねぇなぁ。」俺はまだ二人が飛び出さない内に階段を降りアルベーカーに跨る。何するんだ?と皆が不思議そうに見守る中、俺はアルベーカーのエンジンを掛けNSRが来るのを待った。NSRが俺を見つめながら横を通ったその瞬間、俺はクラッチミートさせてウィリーでヤツを抜く。NSRの前でフロント・タイヤを高々と上げながらアクセルを煽る。コーナー手前でサッとフロントを落としリーンアウトでコーナーを抜け、立ち上がりでまた高々とフロントを上げる。それを見ていた残りのローリング族のヤツラは固まっている。駐車場を2周回りもう一度NSRを前に出してやるとヤツは「まいった。」という感じで左手を上げて脇に寄り走るのを止めた。俺はNSR戒めたた後、皆の並べたバイクの列に足で地面を蹴りながらワザとバックでアルベーカーを停め、左手でアクセルを煽りながら右手で人差し指を立ててグルグル回し、サッと手のひらを広げて急に止め、エンジンをカットした。そうMADMAXのトゥカッターのまねをしたんだ。 (好きだねぇ、俺も・・・)するとムッシュとジェイソンの二人が急に興奮して「ナイトライダー!」と何度も叫び出した。その二人を見てまた俺も悪のり。「アーイムゥ・ナイトライダァアー!」思わず叫ぶ。シーン、一瞬静まり返る。「あれ、外したかな?」と思った瞬間ウォォォォォォ-!皆の怒涛の様な声が公園中に響いた。階段を上がる俺に皆が肩を叩いて出迎える。それからの俺はヒーロー扱いされてちょっと戸惑ったが気分は悪くない。

最後まで大人の実力を見せつけられた兄ちゃん達が俺をガン見しながらウィリーをやり始める。しかし、自分達の下手クソさに嫌気が差したのかすぐに全員帰ってしまった。 (大丈夫!俺も昔は下手だった。)

しばらくして住民の通報で警官が二人来た。ムッシュとジェイソンは猛ダッシュで便所の陰に隠れる。「何も無かったし、多分勘違いじゃないですか?」職務質問された俺達だが勿論、しらばっくれる。「そうか、じゃぁあまり遅くまで騒がない様に。」そう言って警官達が帰って行った。すると便所の陰からムッシュとジェイソンの二人が「ね、帰った?帰った?」と首を伸ばして俺達に聞く。俺は笑いを堪えるのに苦労した。

その後の俺達は朝まで会話が尽きる事なく、最後まで盛り上がった。夜が明け始め日の出が近づく、空が少しずつ紫色に変わる。 (俺はここに来るまで夜明け前の空が本当に紫色になるのを知らなかった。)放射冷却で身体が芯まで冷える。「そろそろだな。」主催の男がそう言うと皆バイクに跨る。そして、またいつか会える日を祈りながらそれぞれが帰るべき場所へと走り出した。

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2006年7月11日 (火)

浮谷東次郎と人間ロボット

今日は俺が知る最も凄い男の話をしたい。その男の名は浮谷東次郎 (故人)トヨタの四輪レーサーで俺は生前の東次郎氏を見た事はない。友人に東次郎氏の大ファンがいて、その友人に東次郎氏の著書を貰い俺も大ファンになった。 (この時にはすでに故人)東次郎氏は研究熱心な秀才型のレーサー。とにかくサーキットのコースを隅から隅までくまなく見て研究し誰よりもコースを熟知する事でライバル達の上を行った人だ。

俺はよく彼のまねをして仲間と頻繁に走る峠の道をメモ帳片手に歩いて研究したものだ。俺はこの行為を浮谷東次郎ごっこと呼んでいる。 (オフ車でロードバイクや四輪とバトルするにはこれ位しないと正直キツイのよ。)俺は彼のまねをして解った事が2つある。1つはコースを歩いて研究すると回数を重ねる度に頭にとてもハッキリとした空間 (立体的)地図が出来る事だ。分かり易く言うと近所の道を車やバイクでブッ飛ばしてもあまり怖くないでしょ。あれの事だ。でも何故だと思う?頭の中にしっかりこの空間地図があって、どこをどう見てどうやってどう走ればいいか解っているから出来る事。プロレーサーのライバル達の更に上を行く東次郎氏の空間地図が恐ろしく緻密なのは容易に想像がつく。しかもこの緻密な空間地図があれば作業の自動化が出来る。作業の自動化とはなにか?これも説明しなくてはいけない。俺は冬季によくアルバイトしに東海地方に行き、工場でテレビやバイクの部品製造とかをする。 (生産ラインの仕事が大好き。)始めての作業はなかなか大変だか時間が経つと身体が仕事を覚えてくる。それでもまだ遅い。もっと慣れてくると次の行動へ早く移る為に自然に視線が常に先行するようになる。 (これでかなりスピードアップする。)しかし、もっと先がある。ある程度以上の作業スピードで何時間、何日も仕事をしていると作業を行うための脳内に形成された神経ユニットに作業範囲の空間地図がプラスされほとんど意識せずとも物凄い速さで作業できる達人になる。通称人間ロボット。 (やっと最近になって俺もそう呼ばれるようになった。うれしー!)東次郎氏がサーキットを走る時はきっとこの人間ロボット状態のはずだ。

後のもう1つ俺が解った事。それは東次郎氏の死に係わる事だ。東次郎氏は鈴鹿サーキットで練習中にコースに進入してきた人を避けて照明灯の鉄柱に激突して亡くなった。多分、東次郎氏ほどの緻密な空間地図を持っている人なら当然、照明灯の鉄柱の位置も頭の中にハッキリあったはずだ。東次郎氏はコース上に人を発見した瞬間、自分はこの人を避ければ鉄柱に激突して死ぬかも知れないと分かっていた事だろう。相手と自分の命を一瞬の内に量りに掛けて迷わず相手の命を選んだ事になる。自分の命よりも見ず知らずの他人の命を選ぶ。俺にはとてもまね出来ない。

男の中の男だ。 (注・あくま060710_12150001 で一人の熱狂的なファンの仮説です。あしからず・・・)

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2006年7月 9日 (日)

矛盾チューンで究極ハンドリング

昨日は四輪とのバトル話を書いた。当時の印象が強烈だっただけにほぼ完全な形で書き出せたと思う。思い出してその余韻を反芻する。自然に笑みが出た。おっと、先に進めないと。今日はまたチューンナップの話をする。俺は昔から自分独自のチューンナップ法を腹腹時計 (学生運動のテロリスト・マニュアル本。身近にある物で兵器や爆弾を作る恐るべき教本だ。)スタイルで一冊の本にしたかった。つまり比較的に簡単な方法でオフロードバイクを夢のスーパーマシンへ変貌させるマニュアルを作りたかった。今はブログってモノがあるからぜひ書いておきたい。

俺は10年前にあるバイクが欲しくて欲しくて堪らなかった。そのバイクとは2サイクル・バイクチューンの神様、柳沢雄三氏が開発し’89-90年に発売したYSSMというバイクだ。このバイクはヤマハTZR250Rを雄三氏が独自の理論で公道走行に最も適したバイクにするため手直した夢のピュアスポーツマシン。俺は雄三氏のバイク理論に強く影響された一人で、もはや信者と言ってもおかしくない。 (俺はこのYSSMが発売当時、筑波サーキットで実車を見た事があり、フロント・ホイールにはめられた細い実用車向けのタイヤが印象的だったのを憶えている。)10年前の俺はKTMという外車を2台持っていてどちらも手放したくなかったので泣く泣くYSSMを諦め、代わりに雄三氏の理論をオフロードバイクに活かせないかと考えた。

それからの俺はオフ車のフロントに装着できる高い運動性能のタイヤを探した。雄三氏の理論ではバイクのフロント・タイヤは細い方が何時如何なる時 (最高速時、危険回避時、通常時)でも曲がれると言う。しかし、バイクという重量物に着けるモノだけに自ずと限界もあるし高い剛性力も必要だ。俺は市販で手に入るオフ車用タイヤを何十種類も購入しテストしたがどれもダメで問題にならなかった。半ば諦めかけている時、偶然友人にこの事を話すとハーレー・ダビットソン用21インチ・タイヤ (ダンロップD404カブキ80/90-21)はどうか?とアドバイスを受けた。早速試してみるとイメージ通りの高い運動性能を持ち合わせていた。このタイヤを履くと水の上を歩くミズスマシの如くにアスファルトの上をオフ車が走れる。しかし、問題もあった重さ300㎏のハーレーを支えるタイヤだけに剛性が強すぎて高速走行時にブレーキが簡単にフェード現象を起こしてしまうのだ。俺はこの問題を解決出来ずにオフ車に高い運動性能のタイヤを装着するアイデア自体をお蔵入りさせた。

それから何年か経ち俺は友人の誘いでエキストリーム・バイクを始める様になった。練習に励んでいたある日、フロント・ブレーキパッドをデイトナ社のゴールデン・パッドに替えてストッピー (ジャックナイフ状態でリア・タイヤを上げたまま走行するトリック)を行うとゴールデンパッドの恐るべき制動力でフロント・タイヤがいきなりブレーク (タイヤグリップが破綻して滑る)を起こしてしまう。困っていた俺はあのお蔵入りしたタイヤの事を思い出し、このブレーキパッドとあのタイヤを組み合わせればいったいどうなるだろうと考えた。何だか矛盾の語源となった有名な中国の昔話を思い出した。 (乱世の時代、道端で武器商人がどんな盾でも突き通す槍とどんな槍からでも身を守る盾を売り、その話を聞いていた客からその槍でこの盾を突くとどうなるか?と質問されて困ってしまう話だ。)

倉庫からダンロップ・D404を出して (本当にお蔵入りしていた)フロント・ホイールに組み実際に走行してみる。高速走行時でも全くブレーキがフェードせず何の不安も感じられない。しかも相変わらずの高い運動性能で最高速時でも軽く体重を掛けるだけでガンガン曲がる。 (通常、最高速時には曲がらないし、曲がれない。)コーナリング時もラインの変更が楽に出来たりする。 (無論、普通は出来ない。)そして、ストッピーをしてもブレークは起こさずとても具合が良い。 (現在はブレーキ側に余裕を持たせるため大径ブレーキ・ローターを使用いているが、タイヤとのバランスを考えてワンサイズだけのアップ。)

これでやっと憧れのYSSMの理想的運動性能をオフ車に与える事ができた。タイヤ&ブレーキ・パッドの消耗品を交換するだけで究極ハンドリングのスーパー・マシンに生まれ変わる。たったこれだけで別物のバイクになるなんてステキだと思うだろ?今までとは全く違う異次元の走りが出来ちゃうぜ。オフ車の乗っている方どうだろう。

まぁ、こんなマシンでないとキレた走りは危ないだけだから参考までに060707_19010001

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名も知らぬ強敵に敬礼!

最近、エキストリーム・バイクの練習で調子が良いから楽しい話をしたい。’95年の11月に岩手のナイト・ライダー主催の集会にKTM600LC4で参加した。場所は秋田道の錦秋湖パーキングエリアの一角。ナイト・ライダーのリーダーはバイタリティーのある人で話してて楽しい。さすがに11月の夜は寒く、軽く一口ビールを飲んで止めるつもりが寒さから他の暖まる酒に自然と手が伸びた。決して酒には強くない俺だが寒さで全く酔わないからドンドン入る。普通これだけ飲んだら少しは酔いそうなもんだが寒さの方が完全に勝ってた。深夜1時を過ぎた頃テントのシュラフに潜り込む者が出始めた。俺はそろそろ潮時と皆に別れの挨拶をしてKTMに乗った。不思議に酔いが全くないからウィリーかましながらパーキングを出る。

秋田南インターから高速を降りて国道7号を走り、途中コンビニで冷えた身体に熱いコーヒーを流し込む。「おっと家の鍵開けてもらわないと・・・」急いで携帯電話で自宅にコールする。すると目の前の道を四輪のいかにもって感じの走り屋集団が7台つるんで走ってきた。俺はいつもの癖でそいつらを追う様にコンビニを出た。すぐに赤信号で交差点に止まっている四輪たちに追いつき、車の横を縫う様にして前に出る。すると停止線に止まるやいなや先頭のパンダトレノがアクセルを煽り出した。「ほうら、来た。」俺はワザと無視するフリをして横目でしっかり信号の変わり目を読む。信号が青に変わった。俺のKTMがドラッグスタート (背筋を真っ直ぐにし、骨盤を立ててスタートを切ると上体に掛かる加速Gが背骨を通しシートを押してトラクションに変化しタイヤのグリップを最大にする。)でパンダトレノを置いてけぼりにする。 そりゃぁ、そうだろKTMの加速は100メートルまでならZZR1100より速いんだから・・・。 (俺のKTMはAMSフジイのFCRキャブ・チューンだ)四輪達は俺のKTMを250ccのトレール車と思っていたらしく、この後ガラっと雰囲気を変える。次の交差点でパンダトレノが汚名挽回ともう一度挑んで来る。俺はもうパンダトレノの実力が解ったから信号が青に変わると同時にウィリースタート。ウィリーしたままパンダトレノを引き離した。やる気を無くしたパンダトレノの後ろからガンメタのRX7が躍り出た。「次はセブンか・・・。」俺はセブンの後半の伸びを警戒しつつも再度ウィリースタートした。今度はウィリーを短めにしてセブンに備えたが、セブンはエンジンをそれ程イジってないのか全然近づいてこない。目の前の信号が赤に変わる。一足先に止まっていると、青いGTRがセブンに「換われ!」と合図して俺の横に並んだ。「多分、こいつがリーダーだな。」態度と雰囲気ですぐに判った。GTRのドライバーはエンジンを煽るが必要以上に回転を上げない。「どうやらかなりゼロヨン慣れしてるな。」今度は俺もマジだ。俺は以前、ドラックレースがやりたくて愛知県のプレジャーって双子の親父達が経営してるショップに顔を出してドラックレースについて研究した事がある。 (ドラックレースが恐ろしく金が掛かるのを知ってレースは断念したが)ライダーの廓さんにも色々教わった。意地でも公道レベルのGTRには負けられない。信号が青に変わる。GTRのタイヤから高いスキール音が響いた。スタートのタイミングはほぼ同時。しかし、KTMの出足には敵わない。俺は次の交差点が赤になるのを祈りながら先行逃げ切りを掛けた。運よく次の交差点の信号が赤に変わり逃げ切り成功。「やばいな。」勝ったはいいが相手にも面子がある。勝ちすぎて四輪にブチ切れられたら無事には済まない。少しでも当てられたら指で弾いた消しゴムみたいに飛ばされる。 (やった事あるヤツは分かると思うが)ここは相手側の走り屋のプライドに賭けるしかない。そう思った矢先GTRがこれ見よがしに交差点内をパワードリフトで回り始めた。「しめた!」俺は両手を挙げ大げさに喜んでGTRのご機嫌を取ったのだ。 (本気で当てられたら即死だから正直俺も必死だ。)GTRは俺のパフォーマンスを見てご満悦。俺は更に自分の安全を確保するため念を押した。GTRの横にワザと並び親指を立てて見せたのだ。GTRは上機嫌。「ホッ。」

この後が愉快だっ060708_13590001 た。俺とGTRはお互いを意識しながら並んで走る。また赤信号になり二台仲良く停止線に止まった。するとGTRのドライバーはニヤニヤしながら前を指差す。「本当かよぅ。」俺はちょっと苦笑い。なぜならこの交差点の先にはオービス (自動速度取締り機)があり、もう一度勝負しろと言うのだ。「ま、いいか。俺はバイクだし、GTRもナンバーに細工してあるし。」俺も今回はリラックスして走れそうだ。信号が青になった。俺はウィリースタートでフロントを上げたままオービスへと向かう。ロングウィリーでそれほどスピードは上がらず、GTRと一緒にオービスに突っ込んだ。パッと赤いフラッシュが光る。

俺は自宅に曲がる交差点をワザと過ぎ、しばらくGTRとランデブー。赤信号で止まったのを合図に左手を上げてUターン。GTRのドライバーもガラス越しに手を上げた。後から追って来た残りのメンバーには左手で敬礼した。ファーン!皆クラクションを鳴らして俺に返した。俺も笑顔、ヤツらも笑顔。俺は満ち足りた気分で家路を急いだ。

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2006年7月 8日 (土)

キャブレターという名の舞台

ここのところキャブレターの話を続けたので今回はキャブセッティングについて話そう。キャブセッティングはなぜ難しいか?それはベストセッティングとはどんな状態 (体感的に)か解らない事が一番の原因。じゃぁ、ベストセッティングってどんな感じだよってなるわけだ。俺は幸運な事に、このベストセッティングに出会うチャンスがあった。

埼玉県にAMSフジイというショップがある。ここの親父さんは完璧なキャブセッティングを求めて、まだバイク用シャーシダイナモが普及する以前からとんでもない大金を掛けて実走行に近い状態でエンジンの出力測定出来るシャーシダイナモを開発した。しかも出力、空燃比、排ガス濃度等を測定し総合的にマシンチェック出来るコンピューターソフトも造った言わばキャブセッティングの神様みたいな人だ。 (ここには全国からチューンナップマシンのオーナー達が馬力はあるけど乗りずらいとキャブセッティングをお願いしに来る事が多い。)

俺はここのショップにキャブセッティングを二度ほどお願いして、その際に完全無欠セッティングの試乗車に乗る事が出来た。マシンはXR600でショップ近くの国道を一回りした。とにかく無振動でシルクの様な肌触りの気持ち良い風が身体の横を通る。そしてスピードが凄い勢いで上昇してもそれすら感じさせないスムーズさで素晴らしく速いマシンだった。意地悪く欠点を見つけようとしたが何一つそれらしいモノは見つからない。このマシンに乗った感じを例えるとするならば新幹線が最も近い。後日、セッティングをお願いした俺のKTMを取りに行った時も、引渡し前のチェック試走でやはり試乗車と同じ感じに仕上がっていた。

ベストセッティングは新幹線のイメージを持って出来るだけそれに近づけるのがキモだ。キャブセッティングの仕方を色々な専門家に聞くと手掛ける競技や仕様によって違う様だ。しかし、最終的に最も調子良く走らせる事で答えは一致する。それでは俺のやり方を紹介しよう。俺はキャブセッティングを演劇の舞台に例えて行う。まずは主役選考をする。主役といえばメイン。そうメインジェットから決める。

メインジェットの決め方は単純明快、一番スピードの出るモノで(高速域以外はダメでも良い)同じ速度が出るなら濃い番数の方を選ぶ。これで主役決定。 (この主役だけは一度決定したら絶対変えない)こうやって決めないと最悪の場合、焼き付きを起こす。次に決めるのはスロー系 (スロージェット、パイロットスクリュウ等)しかし、この時は一通り試走出来る状態でいいのであくまで暫定だ。パイロットスクリュウかエアスクリュウの回転数を変えてみて1~3回転の範囲で調子が出ない時はスロージェットを替える。試走の準備がこれでできた。試走では高速域まできれいにつながる感じになる様にジェットニードル、ニードルジェット、ニードルクリップ段数を変更する。キャブの種類によって中速域をニードルでセッティングするタイプとジェットでセッティングするタイプがある。 (クリップ段数はどちらでも出来る)先にクリップ段数を変えてみて許容範囲を超えていたらニードルかジェットを替えてみる。中速域のセッティングを060707_18580001 決めるとまたスロー系をセッティングし、それが決まればまた中速域と、何度も何度も行いイメージに近づけていく。それも全て主役 (メインジェット)を輝かせられる名脇役を探し出すために・・・。 

何度もセッティングを繰り返す事で、多分ここをこう変えたらこうなるだろうと感じられる様になればしめたモノだ。千里の道も一歩から、ローマは一日にしてならず。あの新幹線のイメージに近づく為にね。

あくまで俺流です。参考に

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2006年7月 7日 (金)

パクリ・チューン

ま、俺のヨタ話でも聞いてくれ。俺のチューニングのポリシーは良い物はどんどん取り入れる事。例え他人が考えた物でもハッキリと効果が現れるのなれば一度自作してでも試してみる。そして本当に良い物だけを残していく。ここ数年の俺が試してしっかり効果のあったパーツを紹介しよう。

まず最初はパワー・ナウってパーツだ。これはキャブレターのスライド・バルブが全開以外の時、吸入された空気がスライド・バルブにブチ当たって乱流が発生。 (F1カーレースではこの辺を考えてスライド・バルブではなくバタフライ・バルブを使う)吸気抵抗 やキャブレター・ボア内部にガソリンを吸い上げる負圧の低下を無くすためのいわば整流版だ。 アメリカ製みたいだがモノの割りに値段がバカ高い。 (2万円ちかいその分効果の大きさが窺える)おまけに人気車種のレーサー用しかないのでホームセンターで材料を探し、早速作ってみた。製作に至っては材料にステンレス製のパテベラを使い、雑誌紹介欄の写真をモデルに本物に出来るだけ似せて作った。問題は整流版の仕切った上下を導通させる中央に開いた穴だ。穴径をいくらにしたらいいのか見当がつかないのでモデルよりも初めは小さく設定。 (モデルから実際の縮尺を割り出して)装着にはキャブのファンネル側を加工する必要があったがその方がより単純な構造で具合がいい。試走開始。少しスローが濃い症状。キャブ・セッティングを施す。これがこの仕様のベストだなぁと思ったら穴径を0,5ミリずつ拡大し、そのたびにベストな状態を探す。これ以上は調子を出すのは無理!というところまで拡大してテストして終了。一通りすんだら今までの一番感じが良かった穴径の板をもう一枚作って完成だ。 俺はキャブ・セッティングをする時、走るだけでなく必ずパワーウィリーをして力量感やコントロールのし易さと安定性を確かめる。経験上この方法が一番手っ取り早くベストが解るからだ。俺はキャブの脱着やダクトへの影響 (傷とか)を考えて合計4枚試作して4枚目を完成品にした。 (写真はジェベル用に作った物)すごく良い!本物がバカ高い訳だ。 (製作費800円くらい)

次は、クランクケース内圧調整バルブ。これはクレンクケースの内圧を常に負圧にするための耐圧、対油、耐熱仕様のワンウェイバルブでクランクケースとエアクリーナーボックス間のブリーザーホースに設置する。このバルブはクランクケースの内圧上昇を抑制し、上始点から下がろうとするピストンに裏側から圧力でブレーキを掛け事を防止するパーツだ。これも本物は異常に高い。 (18,000~30,000円)似たようなシステムの物を探したら簡単に見つかりました。トヨタ&マツダ系エンジンにはシリンダーヘッドカバーにこの高性能、高品質のワンウェイバルブが付いている。 (もしかしたら本物より良いかも)しかも値段は600円前後。俺はトヨタ カリブの物を流用。試走開始。いつもと比べて振動が少なくスムーズに走る。幾分エンジンの吹け上がりも軽く伸びがある。エンジンブレーキもいつもより利かず走り易い。アイドリング回転数も少し上がった。後で分かったが燃費も伸びてる。特にキャブセッティング等する必要は無さそうなのでそのまま使用する。グットです!

今回、紹介するパクリ・チューニングはこれで終わり。あくまで参考に (責任は持たんよ)

ちなみに、たとえ特許製品でも個人的に作って楽しむのはOK!

売っちゃだめよ。賠償金高いぞ~。 Ca280007 Ca280002

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2006年7月 6日 (木)

狂気とスピード

今日はスピードと狂気について書きます。ここにある一人の男の子がいます。生まれてから始めて夢中になれる物を見つけました。大きくなったらこんな人間になりたい。しかし、たいした才能を持っていない凡夫の彼は狂気を持つ事で足りない才能を補おうとしました。そして彼は何度も挫折を繰り返しながらもちょっとずつ夢を叶えてゆきました。やがて少年は大人になりその夢が全て叶おうとした時、彼の周りには誰もいなくなっていましたとさ。めでたし、めでたし・・・   皆さん、もうお解かりでしょう。この男の子は俺です。やっと手に入れた夢、自分とバイクと走る道との絶妙なバランス。どれ一つ突出しても保たれる事のない安定。この安定を手にいえるのに22年掛かりました。自分の能力とつりあうバイクに巡り会うまで22年、54台目にしてやっとです。そしてこの愛馬をうまく調教できる術を身につけるのにも随分とお金と時間が掛かってしまいました。

ジェベルは最高です。長年自分が求めていた調和されたスピード。そこに狂気はもはや必要なく、恐怖もありません。ジェベルが自分を乗せて走りだすと時間は止まり、クリアな極上の空間が現れる。これに比べればセックスもカス同然。ははははははははははは・・・・・

やっぱり俺マッド・ライダーだわ。

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世界最高のハンドル・レバー

060705_13310001_1 今日は9年前に俺が独自に開発した世界最高のハンドル・レバーの話をしよう。 (ハッ!世界最高だとぅ。フカシてんじゃぁねぇ!と思うだろうが、まずは俺の話を聞いてくれ。)俺は今から9年前にKTM620デュークってバイクに乗っていた。そして知り合って間もないYZF750SPに乗る男と地元の峠でバトルをしたんだ。3時間ブッ続けで走り、一度もYZFの前に出ることなく終わった。 (次の日、デュークのエンジンを見るとクランクケースが横一文字に割れていた。)デュークがオシャカになった俺はヤマハのマシンにはヤマハで勝つ!と次に購入するマシンをヤマハTDM850に決め、購入資金は静岡のヤマハ本社でアルバイトして稼ぐ事にした。 (ちょっと思惑があってね)

ヤマハには今回で2度目のアルバイトで、稼げるラインに配属してもらった。それから5ヶ月間毎日タンクの塗装前の下処理と完成品のチェックだ。俺は昼休みに食事を済ませると決まってある場所へ行く。それはYZF750SPの組み立てラインだ。なぜ行くかと言えばYZFの弱点が解るかもしれないと思ったからだ。 (真剣にそう考えた)来る日も、来る日も飽きる事無く毎日通い詰めた。そして3ヶ月が過ぎようとする時、俺は突然、YZFだけじゃないバイク全体の欠点に気づいてしまった。

俺の考えではバイクはライダーが触れている部分がまだ十分に完成されていない。俺が見つけた箇所はハンドル・レバー、ステップ、シートの3つだ。3つ全部説明するとかなり長くなるので今回はハンドル・レバーのみ説明する。

人間の手の指で握った時に最も力が入る所は第一関節だ。しかも微妙な力加減を要する時もこの第一関節が最も適している。しかし、現実に今バイクに付いているレバーはどうだ?握るにつれ第一関節から離れ第二関節で操作を行う事になる。なぜそんな事になるのか?それはレバーが前方に向かって曲がっているからだ。このような状態ではライダーの能力を100%発揮出来ない。ではどうすれば良いか。第一関節を上手に使う道具に車両整備工具がある。しかも、一流の工具ほど良く出来ていて握って挟んだりする工具は必ずと言って良いほど握る方向に向かってレバーが曲がっている。 (プライヤー、ペンチ類等)これと同じく握る方向に向かって曲げれば良い。

バイクの場合、ただ握る方向にレバーを曲げれば良いのかといえば必ずしもそうではない。 (ただ曲げただけだとグリップに当たって握りきれなくなる)レバー前方の握り部の形状のみを改めればいい。簡単に言うとレバーの握る所の前面のみをうまく削って、そこだけの形状を握る方向に向かって曲げた時と同じ様にする訳だ。さらにレバーから遠い小指でも第一関節でしっかり握れる工夫がしてある。 (写真は俺が実際に加工したクラッチ・レバー。前方のアールが僅かに凸状になっている。下のレバーはエキストリーム用リア・ハンドブレーキ。)

このレバーの特長は抜群の操作性、レバー操作による疲労度の軽減など。

このレバーを発明してすぐにバイト代で実用新案 (自分だけが使用もしくは発売できる権利。特許より申請が簡単)を取得。地元秋田に帰ってから試作品を作り、ショップやパーツメーカーに売り込んだ。だけど現実は甘くない。どこに売り込んでも俺の言う事なんかまともに聞いてもらえず、折角の試作品もテストしてはもらえなかった。 (どこのショップ・メーカーとかは馬鹿くさいからあえて言わない。)何人もの友人に作っては皆から絶賛されるだけに悔しかった。俺のレースの後輩でモトクロスの国際A級になった三浦敦なんか最初に俺が作ったレバーを折っちゃってノーマルに戻したら使えたもんじゃないから、またすぐ作って欲しいとわざわざ仙台から取りにきた。このレバーじゃないと勝てる気がしないとか言ってさ。 (発明したのが俺じゃなく工業大学の教授とか有名なプロレーサーならとっくに世界中の人が使ってるかもしれない。)

ショップやメーカーからの発売を諦め3年がたった頃、どうしても俺の苦労して発明したレバーを色んな人に知ってもらいたかった。そこでガルルってオフ車専門誌に書面で事情を説明し無理にテストしてもらう事となった。俺のレバーは見た目はほとんどノーマルと変わらない。ガルルのテストライダーも最初はかなり馬鹿にしていた様子。半分いやいやながら俺のレバーを装着したマシンに乗ったみたいだ。すると彼は今までのレバーとは全く違うその使用感にかなり驚いた。 (俺自身はテストに立ち会ってはいないがガルルの誌面にそう書いていた。)その後ガルルでは誌面を使い、新製品紹介のコーナーで番外編として俺のレバーを紹介し大絶賛する。

ガルルで全国に紹介された060705_11140001   事でやっと肩の荷が下りた感じの俺は、これ以後自分の乗るマシンにしかこのレバーを使っていない。どんなに良い物でも必要とされなければ世の中に出す意味など無いからだ。だがこれだけは断言できる。構造的にどう見ても俺のレバーを超えるレバーを作る事は不可能だ。もしあると言うのなら俺のレバーとぜひ比較して欲しい。 (その時がくればいつでも作るから。)

話は変わるがYZFとの勝負だが、YZFの彼は峠で事故ってしまい峠を卒業。ステージをサーキットに替え、マシンもTDM850と同系エンジンのTRX850を購入。俺は同じエンジンのマシンじゃ面白くないので、デュークともう一台の愛車KTM600LC4のエンジンを使ってビックボア・ロングストロークのハイパワーエンジンを作る。気分次第で載せる車体を変えて走ったよ。結局、あれからYZFの彼とは一緒に走る機会はなく現在に至る。 (どうでもよくなったのが真相) 

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2006年7月 5日 (水)

中山峠ヒルクライム・レース

060704_18440001 今日はバイクでは日本初のダート・ヒルクライムレースの話をしたい。’89年、レーサーレプリカによる峠や港などで事故大量発生。その異常さに誰もが気がつき始めた頃、バイクメーカーはオフ車をレーサーレプリカ化して発売する様になった。 (あの頃の人気ある峠は狂ってた。事故で人が死んでる横をアクセル全開で攻めるなんて日常茶飯事の出来事にすぎなかった。)事故で二輪通行禁止や封鎖になる峠とは対称に林道ブームが始まった。

東京から地元秋田に帰った俺もCRM50で林道の楽しさを知り、やがてKDX200にステップアップしていった。 (何か凄く楽しいゲームをやっている感覚だった。)しかし、慣れてくると面白さが薄らいでしまう。あの凄く楽しい感覚を求めてマシンをチューンナップしたり、より速いマシンに買い換えたりしてどんどんエスカレートした。当時、秋田には二輪館ってショップがあって俺はそこのメンバーなのだが、メンバーの誰かが速いマシンを手に入れると他の者も皆一斉にマシンを買い換えてしまうスピード依存症集団がそこに存在していた。、もう誰も止められないし、止まらない状態だった。

俺は他のメンバーよりも先を走るためにKTM300TYC(2スト)を購入する。それが依存症を悪化させるとも知らずに・・・。 KTM300はとにかく速く、コーナーを抜けた瞬間次のコーナーにワープする感じだった。 (誇張はしてない)林の中を全開で走るとトンネルの中にいる様な錯覚に陥る。俺は3シーズンほとんど毎日の様に地元で一番高い山、真山に走りに行ったんだ。毎日見えないライバルと戦うためにね。 (頭、イッちゃってる)

真山は砂利道で道がカマボコ状になっていて路面の中央が極端に高い。だから左コーナーはイン・イン・インで走り、右コーナーはアウト・イン・アウトで走る。路面のカント(バンク)を使う必要があるからだ。しかし、ブラインドコーナーも多いので崖側から、先のコーナーの状況や対向車の有無を確認してつっこむ。ブラインドの右コーナーでどうしても対向車の有無が分からずアウト・イン・アウトが出来ない時はアウト側を舐める様に走り、前方の安全を確認できたらインへ飛び込む。また、道にはカーブミラーが設置しているのでミラー角度を見てコーナーの曲がりを読む。 (ミラーが自分に向かっている所はコーナーがきつい)上に行くほど道を傾斜はきつくなり、トラクションをうまく掛けないと前に進めなくなるとてもテクニカルなコースだ。

真山には色々教わったし自信もついた。しかし、自分の成長を確かめるすべはなかった。そんなある日、雑誌で日本で始めての本格林道ヒルクライムレース開催の知らせを目にする。場所は北海道中山峠、すぐにエントリーした。

レース当日になり詳しいルールの説明があり、速いと思われる人かマシン排気量のデカイ順に2台ずつスタートさせ山の麓から山頂までのタイムを競う。文字通りの対マン勝負だ。 麓までの移動は全員によるコンボイ走行で、俺はいかにもやりそうなヤツのマシンを見る。モトクロッサーや外車エンデューロレーサーが多いのだがなぜか皆ライトや外装がひどく割れている。 (訳は後で分かる)スタート順は俺のマシンが300ccで排気量が一番大きいため一番目に決まる。霧の中でのスタート、しかも対マン勝負いやでもアドレナリンが湧き上がる。スターターの合図でスタート!スタートで俺の相手だったRM250が一歩先へ出る。だがハンドル一本分インが開いているので強引にインへ進入して抜く。しかし、相手も負けてはいない。霧で前が良く見えない中で果敢に仕掛けてくる。

バトルも中盤になり、霧が少し晴れてきた。 突然俺の横をRMがすっ飛んでゆく。 「あっ!」と俺がおもった瞬間、RMは崖から落ちていった。 「やった!」これで勝負は決まったと思った。 安堵の気持ちで三つコーナー抜けるとなな、なんとヤツが前を走っている。崖から落ちてコースをショートカットする形でまた崖を登って来たのだった。 (なんだこいつ!) その後しばらくRMの後ろを走る事となり、RMの後輪から発射される石器の様な鋭く尖った石をたらふく貰ってしまった。 顔と胸に強い激痛が走る。 (ライト、ウインカー、F・フォークガード等、前面の外装は全部割れた) コース終盤になればストレートが多くなる。タイミングを見て抜き、抜いたと同時に相手にマシンをかぶせ半クラ使って全開アクセル・オン。バチバチバチ!という音の後、「ギャッ!」と叫び声がした。(お返しだ!) その後は排気量にモノをいわせ50メートル差でゴール。

ゴールで待っていた主催者達は信じられないといった感じの表情だった。 それもそのはず、俺の相手は当麻エンデューロの2年連続チャンピオン御幸アキラさんだった。(ゴールするまで全く相手の素性は知らなかった。) レース後、御幸さんとお互いの健闘を称えあう。その時の俺の額からは血が流れていた。                   

俺の人生で最高のバトルだ。

結局レースは霧の晴れた条件の良い時に間違って初心者と走ったベテラン・ライダーが優勝した。 (俺は3位) 俺は表彰式で「次回はもっと速いマシンで来る。」とライバル達に言い残し北海道を後にした。

翌年、XR630アルベーカースペシャルに乗り換えた俺にレース主催者からレース開催中止の知らせが入る。どうやらレースを許可した地元営林署が実際にレースを見て、あまりの凄さにビビってしまったらしい。これで日本でのヒルクライム・レースは露と消える事となった。

本当に残念だ。 (現在、真山は自衛隊専用道路のため一般車両通行禁止)

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2006年7月 4日 (火)

キャブ・チューン(基本編)

今日も濃い話をするぜ。俺はチューンナップが大好きだ。俺のチューン方法は外式強化術。キャブ、電装、マフラー等の簡単にイジれるパーツを改造したり、交換したりしてエンジン本体には手を付けずパワーを搾り出す。つまりライトチューンてやつよ。 (経験上これが一番壊れないで済む)まず今回はその内のキャブ・チューンから。

ジェベルのキャブを例に話を進める。ジェベルの負圧キャブの最初にイジる所はスライドバルブのスプリング。これを3分の2の長さにカットする。そして元の長さに落ち着くまで引っ張って戻す。 (カットする前に自由長を測定しておく)これでスライドバルブの上昇スピードが上がる。次にスライドバルブ下部の穴を拡大する。 (ジェベルの場合2㍉から3㍉に拡大)これでダイアフラム室内部から吸い出される空気の量が多くなりスライドバルブの上昇量が大きくなる。この二つの改造でハイスロ化出来るのだ。しかし、スライドバルブの動きが速く、大きくなる事でエンジンに吸入される空気の量は飛躍的に増大するから、キャブセッティングをしっかり取らないと何にもならんので注意。 (どこか改するたびにセッティングが必要)

次はジェットニードルの先(三角帽子状の所)をカット。そして先端をきれいに平面に仕上げ、直径1㍉のドリルの刃を使い平面になっった先端中心に深さ0.8㍉前後の窪みをつける。 (ニードルはドリル・チャックに挟み、回転させて行う)こうする事でフロート室から吸い出されたガソリンがニードル先端にぶつかり、攪拌されながらニードルに対し直角に拡がってニードルジェットから入る空気と効率よく混ざる。

最後はメインジェット(他にもチューンはまだまだあるが、いずれまた。のネジ部側の穴にメインジェットのネジ径と同径のドリル刃でドリルを使って軽く揉んでやりテーパーをつける。 (ネジを崩さない程度に注意する)これで完成。当然の事だがセッティングの必要あり。テーパーをつけることでガソリンが拡散され粒子が細かくなる。

これで燃焼効率が格段に上がる。しかし、燃焼効率が上がるとはいったいどうゆう状態なのか理解している人は少ないと思うので解りやすく説明する。簡単に言えばこうだ。焚き火をする時に燃えやすい枝と燃えにくい木では、同じ材質なのに木の方は口で吹いたり、うちわで扇いだりしなくちゃならない。枝は木よりも燃焼に多くの空気を必要としないわけだ。これをキャブに置き換えると、ガソリンを粒子を細かくしたり空気と混ざり易い状態を作る事で今までより燃焼に使われる空気が少なくなる。だが、エンジンに吸入される空気量は同じだから燃焼に使われなかった空気が余り、空燃比は高くなる。 (ガソリンが薄くなる)だからそれに合わせてガソリンを濃くすると以前よりもずっと増量させたガソリンが普通に燃焼させられる。つまりボアアップと同等の効果が現れるってすんぽうさ。ハッハー!

解らん事もいっぱいあるだろうが、これが俺の060618_07380001 Photo_1 ノーマルキャブのチューンナップ法だ。へたなレーシング・キャブより乗りやすくてハイパワー。コスト安で壊れない。

興味ある人は参考までに。

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2006年7月 3日 (月)

’93-’94鈴鹿スーパーバイカーズ

俺は所属しているクラブが二つあって、一つはデルタスクエア(エキストリーム・バイクチーム)もう一つは無頼(アウトロー系チーム)。この無頼の会長から「ブログ作れ!」って言われて GO!GO!マッド・ライダーを書く事になった。その会長のリクエストで’93-’94スーパーバイカーズ イン スズカ(当時このインってつけるのが流行った。今聞くとカッコ悪!)の話を・・・。

スーパーバイカーズ現在ではモタードと言うけど、簡単に説明すると色々なジャンルのライダーの中で一番速いヤツは誰だ!決定戦なわけよ。このレースは冬のレースシーズン・オフに主に開催されていて、俺は自分の家業が始まる春まで参加してた。

何せこのレースは日本で始めての本格スーパーバイカーズとあって、参加するメンバーも一癖も二癖もある様な海千山千のライダーが勢揃いしたロード・モトクロスのチャンピオン&ワークスレーサー、全日本級のレーサー、トライアル世界チャンピオンになったフジガスも国際A級昇格前に出てたはず(後になってリザルトを見て分かった)。あと、シングルレース世界チャンピオンになった箕田選手とか、忘れちゃならないのが元スズキワークスレーサーのオフ車使いOFFレーシングの木村夏也さん(サーキットでロードバイクにXR600改で挑戦して勝っちゃう凄いオヤジ)。その他とにかく凄いヤツが集まった。

当時の俺は公道バトル専門で自分を高めるために、自分より速い者と走る必要を感じていた。それでこのレースに出場した訳さ。しかし、出場するためには秋田から鈴鹿まで雪道1200キロ・ラリーをイヤでもしないとダメだからレース前の車検受付締め切りギリギリに鈴鹿サーキットに到着することも多かった。

俺はレースに勝つために(本気でした。今考えるとクレージーです。)主催者にコース・レイアウト、ダートの土質(粘土質の土に玉砂利を敷いている)を聞いて、普段の林道最高速アタッカー仕様のXR630アルベーカー改660で出る事にした。 (第2回からはCR250)第1回大会は2ヒート制で1ヒート目に3位で走ってたら、周回遅れの馬鹿野郎たちが青旗無視。仕舞いにはヘアピン前で横一列に並んだせいで、危うく大クラッシュ寸前に自分から転倒した。おかげで俺の中の外道の血が騒いだ。やってやる!!!!!

俺は昔から卑怯な方法でレースに勝ってきた。 (実力のなさをカバーするため)エグイ走りは得意だぜ。2ヒート目は最後尾スタート、シグナルブルーになると一旦コース外に出てスタートで混み合うライバルたちを尻目にコース外側からトップグループに割り込んだ。そして7位でゴール。レース後色んな人から「あんた何者?」「いつも何処で練習してるの?」「あんたのマシン、俺のKX500より速いけど何処イジってるの?」と質問攻め。俺も淡々と答える。「走り屋です。」「峠と林道。」「アメリカからアルベーカー・スペシャルのXR引っ張って来て、さらに大金かけてパワーアップさせました。」俺が真剣に答えるたびに皆呆れ顔なった。

あ、そうそう俺が転倒する原因になったヤツラだけど、 (某有名ショップチーム、去年日光サーキットの便所で12年ぶりにあったら顔が引きつってた。)第2回大会からずっと俺にわざとコースの外にブッ飛ばされて怪我する事になった。 (凄い簡単な方法で皆飛んでゆく、やり方は教えない。この方法で自分がやられるとイヤだから。)筑波のターミネーターズの時も、そこのチーム員が周回遅れでまた邪魔したからレース中にそいつを蹴ってやった。 (さすがに当ててはいないが、実況MCには大ウケ。)

全くの人でなしレーサーぶりである。レースの時の俺ときたら最低です。モトクロスでもレース中にトラップを仕掛ける場所を決めて、 (主にコース下見の時)ライバルが迫ってきたらひたすらブロック。そして決めた場所に来たら崖から落とす。 (やり方は教えない、ばれると後が怖いから)スタート直後に前を走っているヤツが転倒して巻き添えをくった時なんか、偶然そいつが俺のマシンの前後輪の間にスッポリはまったのをいいことに、そいつの背中の上で全開バーンナウト!(レース後、我に返って土下座して謝りました。) ゴール前ラスト一周で2位のヤツに抜かれると、わざとマシンをぶつけて転倒させて先に再スタートをしてトップでゴールに飛び込んで優勝したり。 (昇格したら通用しなくなったが。)

鬼畜です。思い出してみれば俺のスポーツ歴は鬼畜そのものだ。小学校の時、サッカー地区大会でレッドカードもらって退場になったし、高校の時は空手の県大会で2秒反則負けの非公認記録もある。あー、また書いてて死にたくなってきた。 (人一倍、死ぬのが怖いくせに。)

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2006年7月 2日 (日)

GIGミーティング

107410_1151772304 昨日、居酒屋で9月24日に行われるバイクと四輪の合同イベントショーGIGミーティングをやった。元々クラブ名が紫魔術団秋田だったのだが独立したかっこでいつの間にかクラブ名がデルタスクエア(別名、変態組合)となった。

クラブ員は10名ほどだが、実際にエキストリーム・バイクをきっちり行っているのは俺とリーダーの2名だけだ。リーダーはGSX750Rでやって(得意技はノーハンド・ウィリー)、俺はジェベル250XCでやってる(得意技はコンボ・ウィリー)。

居酒屋でのミーティングの今回の議題は運営方法とスケジュール割が主と060503_17230001 なった。議題がまとまると、後はいつもの変態組合の過去暴露エロ話連発合戦大会(童貞小僧なら吐いちゃう様な話ばっか)。でも、これが楽しいのよオヤジだから・・・。

話は変わるが、最近梅雨せいで練習出来ない日が多くて困る。俺は近所の公園駐車場で練習していて、リーダーは秋田マリーナでやってる。二人で一緒に練習すると警察が集まってくるからだ最高に集まった時はパトカー3台に交通機動隊員が15人乗ってやってた。特に俺のジェベルは排気音がレーサー並みにうるさいから仕方がないっちゃ仕方がないんだけどね。

またこの練習が精神的にキツイのよ。何でかって?楽しい練習てのは自分の出来る技しかやらないから楽しい、つまり単なる復習のための練習。これじゃぁ本当の練習にならない。出来ない技を頭モヤモヤさせて繰り返して練習すると、脳がこのままではイカンとその技のための運動神経ユニットを作ろうとする(練習後の寝ている時も)。しかし、せっかく完成したこの運動神経ユニットも練習しないでいると崩れて元に戻ろうとするのだ(やらなくなると脳が必要ないと削除する)。

昔、染ノ助・染太郎がテレビで「まだ弟子入りして間もない頃、一人前になれば練習しなくとも良いと思っていたら、一人前になったらもっとしなくちゃダメだった。年をとったら倍やらないと技を維持できない。」と言ってたのは真理だと思ったよ。

使わぬ鍬は錆びる(農家の諺)

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2006年7月 1日 (土)

オッス、おらピーキー!

060618_07380001 オッス、おらピーキー!よろしくな。オフロードバイクをこよなく愛するマッド・ライダーさ。 何でマッド・ライダーなのかは、その内分かるよ。    

今までに54台(国産、外車合わせて)買って、そのほとんどがチューン・ナップしてたから酸いも甘いもモディファイ(用途に合わせて特化させる)の事ならまかせてよ。

改造も得意だが、乗るのはもっと得意。愛車ジェベルXC(スズキ・250cc)で林道はもちろん、峠でも俺と一緒に走るのには命のスペアが必要だぜ。(嘘、偽りなし)あと、最近流行のエキストリーム・バイクも3年ほど前からやっていて、今年になってウィリー・サークルとノーハンド・ウィリーが出来るようになった。得意技は暴れ系のコンボ・ウィリー(ウィリー状態で技が次々変わるとにかく忙しいトリック)

今年で40歳のオッサンだけど立ちは10代だぜ。ハッハー!

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