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2007年1月12日 (金)

ロシアン・ラリー (その後…)

毎度お騒がせします。ピーキーです。

昨日の「命がけのギャグ」はどうでした?実は崖から飛んだ時の記憶は2年ばかり空白だった。ロシアン・ラリーから2年後、友人がバイクで事故ってしまい、俺は友人に事故の詳細を聞いた。「あのさぁ、田んぼ横の農道をNSRで走っていたら、夫婦らしい2人が田んぼの真ん中で喧嘩をしてた。俺はその2人を見ていると、道の段差にハンドルを取られてそのまま田んぼへダイブしちまった。」
俺はその話を聞いた瞬間、崖からジャンプした記憶がフラッシュバックで蘇ってきた訳さ。この時、謎が解けると同時に死の恐怖に襲われて数分間、全身が硬直したがね。本当に生きててラッキーだったと思うよ。

ロシアン・ラリーで崖から落ちた俺はロシア人のギャラリーに助けられ、マシンを崖から引き上げてもらった。救護を待つよりもゴールまではあと僅か数キロの為、ゴールした方が早く救護してもらえると判断。激しい痛みを耐えながらゴールまで走った。
ゴールでは、俺が崖下でもがいていた間に追い越して行ったライバル達が待っていた。 (4人)俺がやっとゴールすると「ピーキー、どこで道草食ってたの?」と榛場君 (彼はこの後、国内ラリーで活躍する)が問いかける。「6速全開で崖から落ちた。」俺はそう答えるとその場に倒れこみ、ロシアの国営病院へとヘリコプターで搬送された。俺は国営病院で応急処置が施され意識を取り戻す。「マイ・フレンド!」ロシア人担当医師は俺をそう呼びながら、通訳を通して俺の症状を聞き出しながら治療に当たってくれたのだ。 (感謝します)

事故から2日目、俺の病室に尿瓶をもった美人のナース (ウラジオストックは混血の人が多い為、ロシア国内でも美人で有名)が現れ、おもむろに俺のナニを摘む。「粗品ですが…。」俺がそう言うと、「?」って顔をしながら細くて長い指で俺のナニを尿瓶へと誘う。この時ばかりはちょっぴり元気になってしまった。 (なにが?)

ロシアでの失敗でラリーニストを諦めた俺は数年後に意外な事実を知る事となる。
ロシアン・ラリーで仲良くなった木下という男 (彼にはとても世話になったので、帰国後にメロンを贈り大変に喜ばれた)がオフロード・バイク雑誌「月刊ガルル」に、パリダカール・ラリーを完走し、埼玉県草加市市会議員になった男 (その後、彼は市長になった)としてインタビューを受けていた。その中の一文を抜粋して紹介する。

「私は第一回ロシアン・ラリーに出場して、ラリーはスピードだけではダメだと痛感し、完走するには何が必要か考える様になった。」俺の馬鹿走りも反面教師として、少しは人の役に立ったみたいだ。

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コメント

昔ビ-トたけしが肉体は自分の想念を乗せるマシンでしかない
強引に使い倒してナンボ。極限まで追い込めば臨界点が上がって
いくんだよ。なんて話を思い出しますた。
そういう意味で56台+1台イジリまくりなわけでつね。

投稿: z | 2007年1月12日 (金) 23時09分

ピーキーさん、はじめまして。私はいしかわと申します。
いつものピットで一度お会いしていますが、覚えてないと思います。
年末に秋田に帰ってなまはげをやったときに、一緒に回った人に「おめ、ピーキー(←ピーキー氏の本名)って知ってらがぁ!?」と話を切り出され、その方からこのロシアンラリーの話を一部聞きました。
こんなにタイミングよく、ピーキー氏がそのロシアンラリーの話をブログで書くとは・・・。

投稿: いしかわ | 2007年1月13日 (土) 01時47分

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