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2016年8月 5日 (金)

神頼みというもの

神頼みというものがある。

よく、『困った時の神頼み。』と言うが、神頼みで願い(希望)が叶うならこれほど楽なものはない。

俺の考えだが、神頼みって全力で物事に取り組んで、もうやること無くなった時に不安を払拭する為にやる行為だど思う。

まぁ、それでも願いが必ず叶うものでもないのだが。

来月に県庁との裁判の1つに判決が下される。

被告(県庁職員)の職権濫用を証明する証拠を裁判所に全て提出し、被告代理人が裁判でした主張が虚偽(嘘)であった証拠も提出した。

やることは全てやった。

しかし、俺は行政訴訟という特殊な裁判の現状を今まで思い知らされてきた。

ここまでやっても勝てるか分からない実情。

神頼みは俺はしない。

神様には、「無事に生きれてます。ありがとうございます。」しか思わない。

神棚のお供え物をしてる時はいつもそれで終わり。

つまり、神頼みしている時点で気持ちが負けてる。

気持ちが負けてると裁判なんて続きませんよ。

最高裁まで続けるつもりですからね。

国民の権利を冒涜する公務員をタダで済ませるほど俺はヘタレじゃない。

今月は、情報公開請求で請求した文書があるにも関わらず、「請求した文書が存在しないので非公開。」とした損害賠償請求裁判がはじまります。

この裁判では、国民の知る権利に対して法曹界がどう考えいるか、国民の知る権利の価値はどの程度なのかがハッキリします。

請求した文書は存在しました。

言い逃れのできない証拠を県の情報公開審査会は、これは請求した文書ではないという判断をしました。

さすがは御用学者。

県庁の困る判断は下しません。

さて、秋田地方裁判所はどうなんですかねぇ。

この裁判は、秋田地方裁判所にとっては踏み絵となります。

その踏み絵を踏むか、踏まないかは俺には予想もできません。

嬉々として踏むか、慎重に下ろした足を逸らすのか。

まさに神のみぞ知るってところです。


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