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2017年2月21日 (火)

タモリという文化

俺、コミュニケーション障害ではないが、自分が好きなんで相手に構わず好きなこと喋る癖がある。

お客として相手してくれる人は何とも思わないが、そうでない人には申し訳ないと思うので、伝え方の本とか心理術の本見て勉強してます。

安い頭なんで、1冊から1つだけでも覚えれたら御の字だと思ってる。

頭を通して、必要なものがあったら必ずそれが引っ掛かるはずだから。

何も覚えてないということは、自分にとって必要がなかっただけだと。

ホリエモンさんみたいな頭脳明晰なら全部頭に入って良いんだろうが、俺にはそんな能力はない。

正直、俺の能力てのは、納得できる答えを探すまでやってみることだけなんだよね。

かつて、九州の天才と呼ばれた人がいました。

それが笑いの天才タモリさんです。

天才と呼ばれる人は、他人からそう評価される人をいう。

天才は自分を天才とは言わない。

人からそう言われて、喜ばれるから頑張る人が天才だ。

話を戻して、コミュニケーションの勉強に『タモリさんに学ぶ雑談の技術』という本を読んだ時に、話の上手い人は相手に話させて会話のリレーを楽しむ能力が長けているのだと思った。

タモリさんはそれが物凄く上手い。

話のネタをサーブして相手が返しやすい所に打ち込み、たとえ相手が飛んでもない所に返しても、徹底して相手が返しやすい所にまた打ち込む。

しかも、会話のリレーは加速し、どんどんリレーのペースが速くなる。

そうすると会話が止まらない。

相手もいくらでも気持ちよく返せるからタモリさんを好きになってゆく。

しかし、会話を続かせるためには豊富な知識が必要です。

知識ってのは本や新聞、インターネットでも手に入るが、人の話を聞く能力も無ければ3次元の情報にはならない。

ここら辺がコミュニケーション能力なんだろうな。

会話って端的にいうとセックスに似てるんだよ。

自分の気持ちよさだけ求めると相手は喜ばない。

いつまでも長く続ける為にはお互いに相手が気持ちよくなることを考えなくてはならない。

自分の気持ち良さだけを考える人には、ハードルが高い儀式と言える。

俺も人のこと言えないが。

漫画家の赤塚不二夫先生が亡くなった時に、弔辞をタモリさんが読んだ。

真っ白く何も書かれていない紙を持ち、さもそれに文章が書かれているかの様に弔辞を述べるタモリさん。

最後の言葉は感動的であった。

「私もあなたの作品の1つです。」

赤塚不二夫先生が漫画で描いたキャラクターを、そのまま具現化した実在の人物がタモリという人間であると自ら宣言した。

日本では漫画は文化であり、そのキャラクターもまた文化だ。

赤塚不二夫先生のナンセンスギャグを具現化した人間がタモリさんなら、タモリさんも立派な文化です。

タモリさんは、リクエストされた無理難題を面白おかしく真似(形態模写)することが得意だ。

それが多くの文化人に認められタレントになることを奨められた。

そのタモリさんを最も応援した人物が赤塚不二夫先生だった。

九州の天才と呼ばれ、東京でお笑いタレントとして成功してからも沢山の人を楽しませたタモリさん。

この人がいなくなったら日本はつまらなくなるだろうなぁ。

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