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2018年8月12日 (日)

まるで横溝正史の世界

以前に、このブログで紹介した話が横溝正史の『八つ墓村』みたいに思えてくる。

俺が住む地区は秋田県男鹿市の旧若美町(世に言う平成の大合併で男鹿市と合併。)で、秋田の奇習と言われるナマハゲは旧男鹿市と旧若美町の両方で行われていた。

ちなみに、秋田のナマハゲを全国に初めて紹介したのは、江戸時代の旅行家である菅江真澄で、佐竹敬久秋田県知事の先祖である久保田藩主から出羽六郡の地誌を書いてくれと依頼されたことで旧若美町のナマハゲを書き残した。

旧若美町の端に五明光(江戸時代の地名は不明。)と呼ばれる土地があり、江戸時代に幕府の御用船が嵐で難波し、積み荷の材木がこの五明光に流れ着いた。

当時の五明光は隣の八竜町(現在の三種町)と所有権を争ってトラブルが続いていた。

江戸幕府の命に受けた久保田藩の役人が材木の所在を調査に来て、流れ着いた材木は既に全て八竜町の人間が持ち帰っていたのだ。

久保田藩役人が八竜町の人間に材木が流れ着いてなかったが聞くと、「若美町の人間が全て持ち帰った。」と言う。

「五明光は若美町の土地なのか?」と役人が再度聞くと、「そうだ。」と答える八竜町の人間。

その後、この久保田藩役人は、よく調べずに若美町の代表者5名を斬首して処刑。

五明光という地名が、5名の首を跳ねたことで土地の所有権争いに光が見えたことから名付けれたとしたら怖過ぎるだろ。(ちなみに、八つ墓村の地名の由来は、戦国時代の落武者8名を殺したことから名付けれた。)

この間違った処刑で久保田藩の役人は一切の責任を負っておらず、「この土地(五明光)を若美町とする。」としただけ。

そして、佐竹の殿様に直訴することを固く禁じた。

横溝正史の八つ墓村より生々しい。

そして、現代。

秋田県庁建設部道路課が俺に対して行った不正を裁判所は、「違法。」と判断した。

行政が違法をしたら国民から改善を求められるのは当然の事だ。

しかし、秋田県庁は俺の改善要求を拒否して、俺が佐竹知事へ送る信書や書籍を検閲して告発を妨害している。

自らの不始末を隠す為に、あらゆる不正を行う秋田県庁。

俺が今回の秋田県庁の検閲裁判で勝訴することで、首を切られた5名の 溜飲を下げることにならないかな。

何とか秋田の腐った役人根性に鉄槌を加えたい。

奇しくも佐竹の殿様が治めていた江戸時代の悲劇を現代では繰り返させない。

いつの世も役人が何でも許されると思ったら大間違いだ。

今に見てろよ!


正直な話、毎日が恐怖です。

もし、今回の裁判で俺が負けたら、全国民が行政の不正に対して異議を唱えようとしても不可能になる。

何せ、検閲が許される前例を作ることになるのだから。

負けたら検閲の定義が変わります。

裁判では、憲法で検閲のことを大雑把にしか記載していないため、判例(判決理由)でしか、「検閲とは如何なるものか?」が判断できない。

国民が行政の不正を告発する文書を、行政が握り潰しても合法とされたら、日本は暗黒の時代を迎える。

俺はその原因を作ることになる。

絶対に負けられない戦いとか言うけど、まさにこれ。

まぁ、勝つまでやるしかないと思ってますよ。



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